新聞記事を読んで思ったこと
人間の生き方に「生産性」という尺度を用いることは、昔は確かにあったと思う。
「ようじにならんからいなす」と言えば役に立たないから追い出す、という意味だし
「模範嫁を訪ねて」を転載していて思ったのは、
今の時代に生まれて、よかったなぁ、ということです。
女でも男でも、
誰と結婚しようが、子供を作っても作らなくても、
どこででも働いて生活できる時代。
昭和一桁世代の女の生き方は、18歳になったら親の進める隣町の男の嫁になること。
高知県の山奥の農家に19歳で嫁に行き、結婚式の翌日から同居する義祖父母の介護に義父母、義兄弟の炊事洗濯、夫という男と一緒に畑やら田圃で働いて、なんか違うなーと思いながらも、1年たったら妊娠して子供が出来て、その次の年にも妊娠して子供ができて、
これ以上できたら仕事ができんと言われて子供は二人。
そしたら投げ出して逃げるわけにもいかなくて・・・60歳になったとさ。
という話をブログに転載していて、よけいに昔の女の人の生き方の選択肢の無さに驚愕しています。
人間を「生産性」があるかないかの基準で考える、ということに驚いています。
さしあたって、わたしもうちの家族も全員生産性なんてありませんから、
生きているだけ貴重な資源の無駄遣いだと思っています。
いろんな人生観がある、というレベルではなく、
「役立たず!ごくつぶし!」と舅に怒鳴られたような感じをうけました。
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杉田議員の寄稿「LGBT支援の度が過ぎる」(新潮45 8月号)
子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同がえられるものでしょうか。彼ら彼女らは子供をつくらない、つまり「生産性」がないのです。行政がLGBTに関する条例や要綱を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり制作になると勘違いしてしまうのです。
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「生産性」って働け、働けってことですか?
同性同士で好きになることもあるだろうし、
ひとりで暮らしたい人もいるだろうし、
子供を産まなかった人生もあるだろうし、
そのことで誰かに責められることのない世界がいいなぁ、
世界中の人が結婚とか妊娠とか自分で選べるようになってほしいです。