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【模範嫁を訪ねて】12人それぞれの言葉から〜終章

 

昔の結婚生活を伝えたくて…

2000年に「高知女性の会」のメンバーが、

「模範嫁」として高知県知事から表彰された218名のうちから

了解をいただけた12名の方のご自宅を訪問して

聞き取り調査を行った活動報告の小冊子から転載しています

 

 

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それぞれの言葉を抜粋して

 

あきこさん

●18歳で結婚と同時に介護が始まる。「なんで私だけが・・・」と涙することもあった。義父は養子で苦労したせいか、理解があり小遣いをくれたりもした。

●唯一の楽しみは縫い物、熱中している間はあまりいろいろ考えずにいられる。

●義父母は介護を全面的にあきこさんに便り、たまに実娘が手伝いに来ても、「あんたじゃいかん」と言って娘にやらせなかった。義父母とも寝たきりになった時は、おむつを洗うのだけでも本当に大変だった。

●農繁期に義母が「明日お風呂入れてよ」と言ったが、「明日、煙草取らんといかんきね、終わってからにしてや」と言ったら機嫌が悪くなり、御膳を持って行ったときに短気を起こしてひっくり返してしまった事がある(その時は義父が義母を怒った)。

●健康だった頃は働き者だった義母なので、病気になって思うようにならない体が歯痒くて、短気を起こす事があった。

 

 

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あや子さん

●自分のした苦労は、娘にも嫁にもさせたくないし、絶対と言っていいほどできない。

●自分が親を看たようには、嫁・子供が看てくれるとは全く思っていない。

●介護は親が死ぬまで続くので、やれるうちはよいが、自分ができなくなったらどうしようと思った。「ばあさんがどれまで生きるか、私も、もう、体にいく、やれるうちはやれるが、もうようやらんなったらどうしよう」これが一番の心配だった。

●自分の老後については「自分でできる限りの事はして、ようせんなったらホームへ入るとか、そういう方を選ばないかんと」

 

 

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たか子さん

●この地域では当時、男が炊事や子育てを手伝うというのを聞いた事がない。

●義父母と子供がテレビを見ていて、子供が漫画を見たがると、こまどり姉妹が見たい義父母はきついことを言って、子供たちをテレビの前から追い払った。すると、子供たちは台所で炊事をしているたか子さんにまとわりつくので、「子供が漫画を見てくれると炊事がはかどるのに」と思った。

●振り返るといつも寝不足だったし大変だったが、当時はあまり大変だったと思わなかった。

●年に一度でもいいから、どこかへ遊びに行きたい、と思わなかったと言えば嘘になる。

●本当に辛いときには愚痴もこぼせなくなる。「今思い出したら、涙の出る時もあるけど、本当に苦しかった当時は涙も出ないし、誰にも話せるものではなかったです。

 

 

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ちか子さん

●義母が早く亡くなったため、炊事や子育てなどを手伝ってくれる人もおらず大変だった。

●夫も漁でほとんど家にいない。

●義父は亡くなる前に、実際にはわからなかったのだが、「すまなかった」と言ってくれたのではないかと思っている。

●ちか子さんが42歳の時、初めて夫と2人で旅行に行った(この地域では厄年42歳の年には夫婦で旅行に出る習わしだった)。

●夫は理解があり、子どもの学校の役員会の研修旅行や漁協婦人部での旅行などに時々参加させてくれた。

 

 

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とも子さん

●介護にヘルパーを使った事はない。店が忙しく義父母の介護につきっきりという訳にはいかなかった。そのため民生委員が来て「病院に入れたら?」と言われたが、義父に意向を尋ねると「家がいい」とのことで家で看た。

●24時間365日介護すると人と、時々やってきて介護する人は根本的に性質が異う。介護する方もされる方も持っている意識が違うため。そういうことを義父母にも話した事がある。

●今、ヘルパーの受講をしている(2級)。身を立てるためでなく、介護人としての認識を持ってもいいかなぁと思って勉強中。人の介護は十分したから、もう2度と嫌だし自分自身が介護されるのも嫌だと言うが受講終了し、ボランティアなどの経験を積んで、やれそうだったらやるかもしれない。自分で自分のことを、おかしいね、と言う。

●将来、自分たち夫婦に介護が必要になったときには、「病院でもどおへでも入れてくれ」と息子に話している。子どもたちには自分がした苦労をして欲しくないし、させたくない。だから息子夫婦とも一緒に暮らしたいとは思っていない。

 

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なが子さん

●生家は貧しく、母が早く死に、父を助けなければいけないと思っていた。

●同じ村内に嫁いでいた姉があげましてくれ、愚痴も聞いてくれた。

●義母が実の娘に「おまんが居らんでもなが子さんが居るきかまん」と言ってくれた。

 

 

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のり子さん

●「当たり前のことをしてきただけ」と言いながら「あんな苦労はいや」と言う矛盾。

●ボロになったんでも継ぎ当てをしたら、200円かかった反物で作ったものの代わりをする。

●義祖母と義父が同時に寝たきりになった時が一番辛く大変だった。しかし、義父が亡くなる前に「長い間世話になったのう」と言ってくれた。

●夫は介護は女の仕事として一切手伝ってくれなかった。表彰を受けたことに関しても現在に至るまで何も言わない。

 

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はな子さん

●自分の将来を考えると、介護保険は必要だ。家で嫁一人が介護するのは無理な事だから、お互いに少々出し合い、みんなにみてもらう事は良い事だと思う。保険料が高いとかいろいろ言われているが、少々のお金には変えられない。

●自分は人に世話をかけずにポックリ逝きたい、嫁に自分が下苦労はさせたくない。」

 

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みち子さん

●長女出産後、義父が何やかにやと言うので、産後10日で田んぼに出た。背中が張ってとてもつらかった。

●三男は未熟児で、コメを引いて粉にして、沸かしたお湯にといて飲ませた。粉ミルクも飲ませたが、再々買えなかった。

●夏場は仕事から帰ったら、皆1時ごろまで昼寝をしていたが、癖になるから昼寝はしてはいけないと、自分に言い聞かせてしなかった。

●嫁に来てから仕事着はたまに買ってもらえたが、着る物を新しく作ってもらう事はなかった。

 

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やす子さん

●自分が動ける間は自分の家がいい。動けなくなったら、長男の家にいかねばならない。

●娘は他所へ行っちゅうし、向こうの親を看んといかんし、娘には世話になると思うていない。「長男の嫁さんがいるのに向こうへ出した娘に世話になる言うたら、これは嫁さんにとっても良くない」

 

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ゆり子さん

●機織りが趣味と実益を兼ねていた。

●珍しい台所用品

●里の親より本当の親のような気がした。嫁に来てからも、裁縫学校にいかせるなど、実娘にもさせないことをさせてもらったことも関係するのか?すごく恩を感じ、恩は忘れない。

 

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よし子さん

●夫の死後、仕事を辞めたい、人にも会いたくないと思ったが、周囲の励ましもあり、続けて勤めた。振り返ると辞めなくて本当に良かったと思う。当時の職場の同僚とは、今でも交流があり、一緒に山登りや絵画を楽しんでいる。

●夫の死はあまりにも突然で立ち直るのに時間がかかった。当時の記憶がほとんどないのは、あまりにも辛過ぎたためと思われる。

 

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 平成12年度 ソーレ女性活動・研究支援事業

         模範嫁を訪ねて〜介護保険の現代的意味を考える

 

 

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           高知女性の会   報告おわり