なんとも色気のない題名だけど、
家族って金しだいだと思うことがあるので
だって、お金のない親なら寄り付かないし、
お金のある親にはまとわりつくし、
周りを見ててそう思う。
前半のほとんどをカウンセリングセンター所長として
見聞してきた困った息子、娘、その発生源である夫婦のこと
をたくさんの例で紹介している。
それを読んでうちの近所にも、うちの身内の話でも
こんな話ばっかりだと思う。
みじかな例1:
びっくりするぐらい高額の年金を受給している、
82歳の老婆が住む一軒家に50台の娘が子供を連れて同居、
60近い息子も離婚して一人で戻ってきている。
母親が一方的に金銭的援助をするだけの関係。
みじかな例2:
77歳の母親一人暮らしの借家に50代の息子が突然転がり込んで同居中。
もちろん、食事の世話から洗濯掃除、時には小遣い提供も。
奥さんと子供もいるけど離婚はしてないとのこと。
みじかな例3:
息子一人、娘二人、東京の4年生大学に通わせて、就職せずに親元に戻り3人が家の手伝いをしている。
あるべき家族のカタチは女の犠牲の上に成り立っていた
家族だから、親が子供を愛して面倒を見て大事にする、
というのは子供が低学年までのことで、
親でも子供でも個人という人格である。
そこのところのけじめができていないと、
50代になってもなし崩しに母親に甘えるだけしか
生きるすべのない大人が出来上がる。
それは、お母さんが声を発してこなかったから。
「お母さんだって、楽したい、休みたい、愛されたい」
という本音を。
考えてみてほしい、
家族だから気を使わなくていい、帰ればいつでも片付いた部屋がある。
無償の愛が得られる、自分だけ楽していい、金銭的な援助も可能。
という幻想が持てたのは
(妻であり母である)女性たちがひたすら耐えて犠牲になってきたからなのだ。
彼女たちが家族の重しに耐えてきたのは、
そこから離れれば食べていけない、女の居場所がなかったからなのだ。
女性たちの忍耐とその副産物であるさまざまな家族のいじめ(嫁いびり、娘支配、息子依存)によって、日本の家族は多くの男性にとって好都合なパラダイスを提供してきたのであるう。
そのパラダイスに安住してきた男性は人間の成長を止めてしまった。
望ましい家族を実現するには、リアルな家族を直視して、
時代と年齢に合わせて変化し続けなければならないだろう。