こんにちは~ あんかけ(@guam3)でーす。
39才で高知のお百姓さんと結婚しました。
お嫁にきてからした仕事を紹介します。
農産物直販所でジャガイモを売る
ちょうど農産物直販所のできはじめだったのです。
それまでは農家の年寄りが家の近くに無人スタンドを作って、
そこにトマトやらきゅうりやらを並べて横に貯金箱いて
「良心市」として細々と農家の作物を直販していた。
「レストパークいの」という大きなドライブインが国道33号線沿いにできる、
その軒先に 農産物直販所を作ってほしい、という話が出てきた。
農協婦人部(現女性部)からの募集が農協を通してあった。
農協婦人部に所属して会員になった。
まだ25年前だけど、ジャガイモを一袋800gに計量して、100円の値札をつけて一日10~20袋を毎日「レストパークいの」の直販所へ持って行った。
市場などに出せない変形したものや規格外のサイズのものなどが直販行きだった。
昼の農作業が終わった後、家の家事なども済ませてからする仕事を夜なべと言って、
直販は夜なべ仕事として女の役割だった。
伝統的農家においては、嫁はあくまで無料の動労力であったが、夜なべ仕事として直販に出荷するぶんは(規格外品だし)嫁の取り分として認められていた。
新鮮な野菜が安いというのと、農家手作りの漬物や田舎寿司などが安心素材とかで、
大人気となり、あちらこちらに大きな直販所ができるようになった。
大量に売れるようになると、婦人部だけの直販所というのはなしくづしになり、
早い話が誰でも出荷できるようになった。
芋天と炊き込みご飯を作って売った
嫁いだ先というのがひと山全部じぶんちの敷地で、
母屋があって、ひいばあさんの家があって、長女の勉強部屋と称する2階建て一軒家があって、下へ降りると作業場があった。
上に登るとお墓があって、その横に畑があって、
ミカン、もも、ゆず、うめ、キンカン、柿の木なんかが大きくなっていた。
年末になると軽トラックで山へ正月用のみかんを取りに行く。
売るものはいくらでもある、と思えた。
季節の野菜を少しとその時々の生り物を袋ずめしていても十分だった。
少しの仕事をして、あとは犬の散歩と美味しいものを食べることだけ、
考える生活でもよかったかもしれない。
家にの敷地の一部に直販工場というのを建てた。
形の悪いサツマイモを芋天に加工して、直販所へもっていこうと考えたのだ。
サツマイモを袋に詰めただけのものを持ってきている人は多い。
作付け時期が同じなので過当競争になる。
直販工場を建てて、飲食店営業の許可をうけて、家にあるさつまいもで芋天、米で寿しや炊き込みごはん、などを作って売った。
面白くて何でも作って売った
焼肉のたれ、
梅干し
カボチャケーキ
「レストパークいの」へ何を作って持って行っても売れるものだから
すごく面白かったです。
家にあるものを使って付加価値を付けて売る、そんなことばかり考えていました。
やりがいもあって、おこずかいにも困らない、田舎って最高!と思っていました。
直販所の人気が出て規模が大きくなるにしたがって、良心市の延長ではいられない、いろいろと面倒なことが起こりだした。
それまでは、製造日時だけゴム㊞押せばよかったのだけど、
製造日時を書かないで消費期限、賞味期限をつけることになったんです。
消費期限、賞味期限は保健所の衛生法で定められている。
(この食品の食べられる時期というのは国の法律によって決まる)
芋天はパックからはみ出すほど大きい、それを輪ゴムでとめていたが、
食品がはみ出しているのは不衛生、ということで禁止となった。
炊き込みごはんはパックをホッチキスでパチンととめていた。
が、食品に金属は危険なので禁止になった。
内容物もちゃんと記載しなさい、遺伝子組み換え大豆の有無とか・・・・・。
生産物はいつどんな農薬を使った、どこで栽培したか、等の報告が義務になった。
(農家のおばあさんのために、シール作製、栽培記録作成、出荷などお手伝いしたら、助かる人多い、農家のおばあさん、野菜つくりたいから)
はじまりがあって、盛り上がって、形をかえていく、というのはいつでも、どんなことでもある。永遠に同じはない。次のステージのことを考えていた。
居酒屋経営
でました。居酒屋経営です。
直販所の出荷に悩んでいたころ、不動産屋に居抜きの物件はないか尋ねて行った。
そしたら、ちょうどいい具合のぴったりの物件が見つかって居酒屋をはじめました。
お金は公的機関から無保証人、無担保というので300万円借りました。
5万円を5年間で返済しました。
まだ継続中、15年たっている。
ということで、つぎのステージはいかに?ってとこですね。