Chico style

a day in my life

昔の生活を残しておきたくてブログはじめました

 

お題「ブログをはじめたきっかけ」

 

「模範嫁を訪ねて」~介護保険の現代的意味を考える

高知女性の会  ソーレ女性活動・研究支援事業  平成13年8月発行

 

という小冊子をどこかに残しておきたいと思ったからです。

 

できれば、誰かに読んでほしいと思ったからです。

 

どんな冊子かというと

 

平成12年に、こうち女性総合センター「ソーレ」から

助成金をもらって活動した報告書です。

 

内容は・・・

 

2000年に介護保険がスタートする以前の介護は

家庭内の女性の仕事とみなされていた。

嫁や妻が支えて当然という常識があった。

では、その介護の実態とはどのようなものであったのか。

それを調べようとして、私たちは高知県が行った

「模範嫁」表彰制度に注目した。

 

これは1970年から1985年まで「模範嫁」表彰として行われ

1986年からは「優良介護家族」表彰という名称に代わり、1993年まで24年間続けられてきた制度である。

 

研究の目的は・・・

 

介護保険の導入によって、

これからは社会全体で手助けの必要なお年寄りの介護を担うという。

介護の社会化という壮大な理念は、

はたしてどのように実現していくのであろうか。

 

私たちは模範嫁の貴重な体験を検証することによって、

介護保険の現代的意味を考えたいと研究に着手した。

 

👆というのが当時のスタート理念でした。そして、実際に12名の模範嫁の方々に直接お会いして話を伺ったものをまとめた小冊子が「模範嫁を訪ねて」です。

 

あき子さん・・・

 

18歳のときに仲人専門の人が持ってきた縁談で

2回だけ会った23歳の夫と見合結婚した。

結婚式の翌日から稲刈りの手伝いをした。

二期作とタバコ作りで体重は42キロになった。

昭和30年の11月に結婚したが、義母はその年の1月に寝たきりになっていた。

義父母をその後ほぼ一人で16年間介護した。

義母と義父が床を並べてオムツをしていたのは2年あまりだった。

女の子と男の子がいる。

 

あや子さん・・・

 

20歳のときに見合いで結婚した。

義母は足を患っていた。

畑にトウキビ、麦、芋を自家用に作っていた。

朝は5時に起きて夫と子供義母の弁当を作った。

かまどで薪でご飯を炊いて、七輪でお茶を沸かし、洗濯をして畑仕事に出た。

夕方は日暮れまで仕事をした。仕事から帰って、義母を看て子供の世話をた。

義母が難しい人だった。

夫の出稼ぎは10年間に及んだ。

辛くて実家に帰ったが、ダメだと言われた。

男の子と女の子が二人いる。

出産の後は3日休んだだけで家事を全部した。

義父が亡くなってからの8年間は義母をあや子さん一人で看た。

その8年間の間家を留守にしたことはなかった。

 

たか子さん・・・

 

高校を出て農協に勤めていたたか子さんは18歳の時に夫にみそめられて結婚した。

勤め人と聞いていたのに来てみると、

夫は両親が高齢のため地元にもどり百姓をしていた。

結婚前は「農業する必要はない」という約束であったけど、農作業はもちろんのこと、

「嫁が来たから人手はある」ということで、蚕をかうことになった。

義父が7年間寝たきり状態だった、義母は途中で亡くなった。

大人と子供3人分のオムツが必要な年であった。

義父の下の世話の時に、世紀の周りも木綿の布でさわって痛くない程度の熱いお湯で、のばしながら拭いていく。きれいに拭いていたら世紀が大きくなる。

まだ結婚してすぐの若い頃だし、義父の男性性を見るのはいやだった。

そうかといって、始末をいい加減にすればお尻が荒れてしまう。

義父母の世話と子供たちの世話が大変で夫に「子供の服ぐらい着せてやって」と頼んだら、義父母に爆弾を落とされた「男を使うな!」と。

本当につらい時は愚痴もこぼせなかった。

義父が亡くなって、洗濯ものも減り、夜も起きなくていい、少し気の抜けたような、ボートしていた時期があった。

たか子さんは義父母だけでなく、義姉も実母も介護した。

 

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というような、昔の生活を聞き取り調査した貴重な小冊子を

何かに残して、誰かに読んでもらえたらいいなぁ、と思って

 

ブログをはじめました!

 

が、しかし初めて見ると

 

行った飲食店情報とかーーー

作った料理とかーーー

見たドラマ・映画なんかをーーー

 

思ったことを正直に書いていたら、

楽しくなって頭の中も整理されるし、見返しても楽しいし、

 

残りの人生、思ったことを正直に吐き出したい!

欲求にかられてしまっていて

 

ブログが楽しいです!!

 

 「模範嫁を訪ねて」も読んでね🌸

chizukoike.hatenablog.com

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

【韓国ごはん】さばと大根のキムチ煮

サバという魚が大好きだ

 

塩サバが一番料理しやすい、焼くだけだから。

 

生のサバもたまには食べたい。

砂糖と醤油で甘辛く煮るのもいいし、

 

味噌と砂糖で煮る、焼肉のたれで煮るとかもする。

 

で、今日は大根とキムチでサバを煮た

 

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材料:大根、サバ、白菜キムチ

 

調味料:しょうゆ、砂糖、一味を少したした

 

作り方

1⃣ フライパンに輪切りにした大根を並べて、そのうえにサバの切り身をのせる

 

2⃣ 調味料を合わせて、フライパンに回しかけてからキムチをのせる

 

3⃣ フライパンの大きさにキッチンペーパーを切って、落し蓋をする

 

4⃣ 中火で15分ほど煮てから落し蓋をとり、すこし水分をとばす

 

ポイント☆彡

大根は1センチぐらいにしとかないと煮えない、もしくは厚切りにしてレンジでチンしてから使うほうがいいかも

 

 

作った感想

 

・魚の煮物をフライパンで作ったのはじめてだ、本に載ってた

 

・キッチンペーパーを落とし蓋に使うのはいいね

 

・大根以外にもタマネギ、ゴボウ、ジャガイモとかもありだと思う

 

・調味料にごま油、ニンニク、味噌をいれてもいいかも

 

食べた感想

 

魚をおかずに白ごはんを食べると、ほっとする

甘辛のサバ煮とは違うコクがあって、ごはんによく合う味つけだ

大根もしっかり味がついていて、ごはんのおかずになる

 

突然、冷蔵庫をガサガサして、サニーレタスを引っ張り出した

やっぱり、このサバ煮は葉っぱで包んで食べたほうが似合う

 

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サムジャン(包むみそ)ないけど、サニーレタスにご飯とサバとキムチをのせて

包んでいただく

 

いくらでも食べられるから不思議だ

葉っぱに包むって美味しい

 

韓国旅行のはなし

 

韓国へ行くと、どこへ行っても何を食べても

葉っぱが山のように出てくる

 

見たことない青い野菜、大根葉のような、春菊とか生で出る

ワカメ、茎ワカメなんかも、包んでくださいと出る

 

そして、なんでも包む

 

ウナギも包むし、刺身も包む、ごはんも葉っぱに包んで食べる

さっぱりといくらでも食べられるけど、葉っぱばかり食べてる感じ

 

そして、青唐辛子、生ニンニク、辛子味噌を好みで足して包む

なれると、はまる味!

 

焼肉なんかはお肉は少しで、あとは葉っぱとニンニクと青唐辛子食べてる感じ

だから韓国女性は太らないのかな?

 

韓国では太ってる人あんまり見ないし、とにかく肌がきれい

おばさんも男の人も、女の人も肌がきれい!

これは一緒に行った人もみんな言う

白くてきめが細かくて、吹き出物とかないってこと

 

オフ会である日本人夫婦にあったときに聞いた話

 

年に数回夫婦で韓国に来るというその夫婦の目的は、

夫婦の共通の趣味であるお肌のお手入れのために、

行きつけの美容成形外科病院で定期的にレーザー美容するんだとか。

一回の治療で4~5万円ぐらいと言っていた。

 

「1カ月に1回づつ来たら女優みたいなお肌にしてあげますよ」

と医者に言われたんだって。

 

それを聞いて合点がいった。

女優さんの肌がきれいすぎると思っていたのだ。

 

そうなんだ、やっぱりなんかしてたんか。

お肌を美しくするために病院へ通う、という発想がなかったので衝撃をうけた

 

もしかしたら若い女の子だけでなく、おばさんもおじさんも皆通ってる?

 

ついでに韓国ドラマの話

 

韓国ドラマをみていると、おばさんも若い女性も、

怒鳴る、殴る、水をかける、がすごく多い

 

韓国ドラマの中だけかと思ったら

現実にもあるなんて

 

大韓航空っていう財閥の一家が

長女はナッツ姫で騒がれて、

今回は次女が水かけ姫だって

 

そしたらついに、、実は元凶は母親で、、これがすごい

怒鳴る、投げる、バケツの水をぶちまける、動画が出てきて、

 

これがドラマをも上回るド迫力で、まじおどろいた

 

👇こちらのブログにその動画がある

ワッタカッタ!さんのBLOG

 

雨がふっているので取り留めもなく書いてしまった。以上!

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

 

 

【弁当のおかず】イワシ缶で簡単にランチジャー弁当

 お弁当をまいにち農夫に作っていまーす

 

みんなお弁当、どうやって作ってるんだろう?

お弁当の本は山ほどあるけど、???って不安になったり心配したり。

これでいいのかと、答えがみつからない。

毎日だよ、毎日。

機嫌のいい時もあれば、体調の悪い時もあるけど、

とにかく作らなくちゃいけないわけよ。

 

もちろん、「今日はごめん、コンビニで買って」

と言えないわけじゃないけど、言ったことない。。。

 

そいで、反応がないんだよね、

まいにち、あたりまえにあって、あたりまえに食べて、

「ごちそう」でおわり、それもないときもある。

それでいいんだけどさ、お弁当だもの。

仕事するために食べるお弁当だもの、

大事なんだけど、主張しすぎてはいけない重要な脇役。

 

作るほうはさ、とにかっくまいにち一生懸命作る、、、以上だね。

 

あんかけのお弁当の作り方:簡単バージョン

 

さーーてお弁当何にするべぇ

今日はごちゃごちゃやりたくないし、

なにがある?

メーンにイワシOK、決まった。

 

メーンが決まれば、あとは芋ずる式に決まる。

玉子焼きは鉄板で、副菜に青いものと赤いもの

 

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ウインナーは切れ目を入れて焼いて冷凍保存。

オクラは冷凍野菜使用。

今旬の新タマネギのスライスが冷蔵庫にストックしてある。

その他冷蔵庫には、青紫蘇とか残ってるはんぺんとかあって。

👆などを使って、

 

☆彡 はんぺんを卵焼きにはさんで、

☆彡 ウインナーはチンしてケッチャプをたらすとアクセントになるし

☆彡 オクラはお湯でもどして刻んで、つゆの素で味付けて鰹節をまぶすとか

☆彡 ランチジャーはおかずが入れにくいので、レタスをひいてたり

☆彡 冷凍ごはんを使う時には解凍してからふりかけを混ぜ込んで冷ましておくとか

 

小技を使って副菜が完成したら、

 

今日のメーン料理 イワシの新タマネギと紫蘇のせ味噌煮

 

☆彡 イワシ缶を開けるとオイルが上に浮いているので捨てる

☆彡 イワシだけをおかずカップに入れて、そのうえに新タマネギのスライスを盛る

☆彡 スライスのうえからイワシ缶のたれに醤油を少し足してかける

☆彡 イワシ缶は缶詰ということがばれないようになにか乗せて工夫する

 

 

完成!!!

こんな感じ。ホッ、

 

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👇こちらもお弁当

 

chizukoike.hatenablog.com

 

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👇

【韓国映画】ユ・アイン×イ・チャンドン新作映画「バーニング」期待大!

2018年11月9日更新

 

韓国映画「バーニング 劇場版」が2019年2月よりTOHOシネマ他にて

日本での全国公開が決まりました。

 

 

ユ・アイン出演映画おすすめ・・・・「ベテラン」

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シネマトゥデイより

村上春樹「納屋を焼く」を映画化!ステーィヴン・ウアン出演作2月日本公開

村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を原作にした韓国映画「バーニング 劇場版」が2019年2月に日本公開されることが決まった。

テレビドラマ「ウォーキング・デッド」シリーズのスティーヴン・ユアンらが出演し、第71回カンヌ国際映画祭で批評家たちから激賞された話題作だ。

本作は、小説家を目指しアルバイトを転々としている主人公ジョンス(ユ・アイン)が、幼なじみの女性ヘミ(チョン・ジョンソ)から正体不明の男ベン(ステーヴン)を紹介されたことによって始まるミステリー。

 

ベンから、「僕は時どきビニールハウスを燃やしています」という不思議な秘密を打ち明けられてから、ジョンスは恐ろしい予感に苛まれることになり・・・・・。

 

 

 

朝起きて、yahooニュースを見ていたら

 

イ・チャンドン監督 8年ぶり新作映画が来月公開

 

というのに反応したあんかけです。

 

イ・チャンドン監督の韓国映画「オアシス」2002年制作とかなり古い映画ですが、

大、大、大好きな映画なのです。

オアシス (映画) - Wikipedia

 

映画が始まってソル・ギョング(主人公)が出てきて、

5秒でこの人は今までの人生で人に褒められたことがないだろうな、

と感じさせるほどの演技。

映画の中ほどでは、ソル・ギョングの立ち居振る舞いに心底腹がったって、

この人大嫌いと思った、すごさ。

長兄役のアン・ネイサンもとてもいい、普通のどこにでもいる善良でしっかりものの長兄を、自然に演じていて最後は恐ろしかった。

ムン・ソリは、ここまでやる!っていうほど役者をやっていて、「ギルバート・ブレイク」のデカプリオと同じくのなりきり演技。

 

で、終わりになるにつれて、腹をたてた私のほうが俗物の偽善者だと反省してしまい、

最後ラストシーンでは、なんてピュアーな恋愛映画なんだろうと、

主人公ふたりが誰のせいにするわけでもなく、

現実を素直に受け入れて喜んでさえいる、と激しく感動した。

映画館を出て信号待ちをしていたら、突然涙があふれだした。

 

という映画の監督の作品なので、興味をひきました。

 

主人公役のユ・アイン

韓国ドラマ「密会」2014年制作で天才ピアニストで20歳(実際は27歳)

で人妻に恋をして、地位とか名誉とかお金とかではないものに価値を見出していて、

天才ピアニストなのに「トラックにピアノを積んで各地を回りたい」

なんていうピュアーな青年の役で胸ぐらを鷲づかみにされましたよ。

 さいきんでは、韓国映画「ベテラン」で韓国の名優ファン・ジョンミンと共演していて、今若手ナンバーワンなんだろうな、と思ったら、

こんどはイ・チャンドン監督と一緒ですよ。ノッテルンデスネ。

 

 

ポスターが公開されてます。

映画の全体像をポスターに一発で凝縮していると思うので、まじまじと暫し見入る。

 

 

昼間、薄曇りの雨、濡れた髪、濡れた手でガラス窓?ドア?のノブ握る男。

外からこちらを見ているその目はうつろで、口元にしまりがなく、着ているシャツさえだらしがない。

キャチコピー「もう、本当のこと言ってみな」(あんかけ訳)

 

バーニング:燃える→ということは放火犯に自白をうながしているのかな?

いやいやちがう、ユ・アインだもの、イ・チャンドンだもの

 

危険で無知で深層が恐怖に包まれている、んだわ。。。

 

とにもかくにも、楽しみでしょうがないです。

6月の初めに韓国旅行をするので、その時に劇場で見られるかな?

公開されてからの韓国での評価も気になります。

原作は村上春樹著「納屋を焼く」です。

原作もよみたいですね。 

 

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

 

 

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『ソウル総合ニュース』韓国の映画監督イ・チャンドン氏の新作「バーニング」(原題)が5月17日から公開される。配給会社のCGVアートハウスが23日伝えた。

 

原作は村上春樹の短編小説「納屋を焼く」が原作で、3人の若者の間で繰り広げられるミステリアスな事件を描く。

ユ・アインが主人公のジョンスを、新人女優のチョン・ジョンソがヒロインを御曹司役にスティーブン・ユアンが演じる。

news.kstyle.com

 

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 ユ・アインの「密会」はU-NEXTで1カ月無料で見られます。

ここが韓国ドラマが一番充実していると思います。

 

【結婚】って何?~模範嫁と呼ばれたあや子さんの結婚

昔の結婚生活を伝えたくて…

 

2000年に「高知女性の会」のメンバーが、

「模範嫁」として高知県知事から表彰された218名のうちから

了解をいただけた12名の方のご自宅を訪問して

聞き取り調査を行った事をまとめた小冊子から転載しています。(筆者もメンバーの一人でした)

 

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あや子さん

 

結婚

 

あや子さんは高知の山間の貧しい農家で生まれた。

2歳の時に実母を亡くし、それからは兄弟に育てられた。

小さい頃から自分のことと炊事洗濯を全部していた。

 

夫とは20歳の時に見合い結婚した。

あや子さんのおば夫婦に子供がなかったので、

「夫婦養子」という形で昭和27年に二人で入った。

義父母は当時65歳と60歳ぐらいで、近所でも評判の仕事師だった。

仕事も家のことも実家に比べたら楽だと思った。しかし、義母が大変に難しく

「ここに居ることはもう嫌じゃ」と何度も思ったことがあった。

 

結婚して2カ月ほどたった頃一度だけ二人で家出したことがあった。

まだ子供ができる前だった。夜中に自転車に荷物を積んであや子さんの実家へ行った。

実家の兄に「もう嫌なことがあるけん、もんて(戻って)きた」と言った。

しかし、兄は「難しいことはわかっちょたけんど、それはしかたないけん、どうしたってあの家に居らないかなあえ」と言って説得した。

それでも姉は「家でをされたらね、向こうも若いもんが大事だってことがわかって、もう少し優しくなるかもしれん」と知恵を出してくれた。

 

1週間ぐらいたった頃、義父母から戻って来てくれと言う話があり、あや子さんは嫌でたまらなかったが、結局戻った。

それからは姉がいうように少しはましになった。

そして子供もできて仕方ないと思っているうちに義父母の身体も弱ってきた。

 

生活

 

今は田圃になっているが、昔は全部畑にしてトウキビ、麦、芋を自家用に作っていた。

まだ、米はあまり食べられない時代でキビご飯、麦ご飯を食べて生活していた。

朝は5時に起きて夫と子供、義母の弁当を作った。

くどで薪でごはんを炊いて、七輪でお茶を沸かし、洗濯をして畑仕事に出た。

夕方は日暮れまで仕事をした。

仕事から帰って、義母を看て子供の世話をした。

毎日が一生懸命だった。

 

トウキビご飯を作るためにトウキビの皮をむいて縛って軒先に干した。

干したトウキビは全部粉にして、キビ臼で挽いて、

細かいふるいにかけて下に粉を落とし、

ふるいに残った「ひきわり」という小さくなった米粒のようなものに

米を少し混ぜて炊く。

今はこの辺りも豊かになって、パンも魚も買えるが、昔は食事の前に蒸かし芋を食べて、米を食べないようにした。

年間10俵ぐらいは自家用にキビを作った。

秋口に収穫して干して、雪の降る頃に棒で叩いて落として挽く。

夜なべにするので寝るのは夜11時頃になった。

 

和紙の原料である三椏で現金収入を得ていた。

炭焼きもしていた。

しかし、そのうち義父母が山へ行けなくなったので、夫が出稼ぎに行って働いた。

あや子さんも近所の畑仕事などを請け負った。

義父母の小遣い、子供の学費といろいろいるので贅沢など程遠く、つましい生活をしてきた。

 

夫の出稼ぎは10年に及んだ。

盆と正月ぐらいしか帰ってこない。留守はあや子さんが一人で守った。

中でも一番記憶に残っているのは昭和38年に大雪が降って、夜中に一人で屋根の雪かきをしたことだと言う。

「その時に主人が出稼ぎでおらざったですがね。おじいさんとおばあさん、私、子供だけでした。おじいさんはもう上へ上がって雪かきをすることはできんきね、私が子供を寝かしちょいて、屋根のところにはしごを掛けて上がって、雪下ろししたがです。そうせんとね、家がメリメリッて鳴るがよ、ひしゃいだら(つぶれたら)いかんと思うてね。寂しいとか、自分一人が、とか思う暇もなくただ一生懸命でした」

 

また、水にも苦労した。

その当時水道は引かれていなかった。

山から水を引いていたが、冬はホースが凍って大変な手間がかかった。

ホースの凍ったところを切って長いホースを束ねて風呂場まで運び、お湯を張った風呂の中へつけて溶かした。

それでもなかなか溶けなかった。溶かしてもまた凍る、そんな繰り返しだった。

雪の降る頃が一番苦労した。

 

「自分がくじけたらいかんと思い頑張った。子供も3人おるし親も2人見ないかん。主人がおらん言うても、あとは自分が守らなければと、ただ一生懸命でした。」

プロパンガスを使い始めたのは昭和60年代になってからだ。

 

出産

 

結婚した翌年に長男が生まれた。

その下に女の子が二人。1人亡くしている。

出産の直前まで畑仕事をしていた。

出産は産婆さんを頼まず、あや子さんと夫でした。

 

畳を上げてその上に新聞紙とボロ布を敷いた。義母は子供を産んだことがないので何も分からなかった。

へその緒を切る時も「こんなに切らないかん」と言ってあや子さんが夫に指示した。

長男の時はそれですんだが、下の女の子の時は上の子にまだ手がかかったので義父にみてもらった。

 

出産の後は3日か4日休んだだけで日常の家事を全部した。

あや子さんの身内から「あんまり早よう起きると体に悪い」と言われたが、子供のおむつも洗わなくてはならないし、夫の食事も作らなければならないので、そんなに長く寝てるわけにはいかなかった。

義母もゆっくり休めとは言わなかった。

義母が子供を産んだことのある人だったら楽だったのに、と思ったこともあった。

「まあ、よく家で産んだこと、今だったら恐ろしい」とあや子さんは当時を振り返った。

 

介護

 

義父は焼酎の好きな人だった。

長男を「可愛いい、可愛い」と言ってよく世話をしてくれた。

世話のいらない人だった。

朝起きて顔を洗いに出ていって、そのままバターンと倒れて、その夜に亡くなった。

82歳、脳溢血だった。

その当時夫は出稼ぎに出ていて、電報を打ったが間に合わなかった。

長男が高校1年生で一緒に葬式の手伝いをしてくれた。

その8年後に義母が亡くなった。

 

義母は足が悪くて長い事患っていた。

義母が生きていたころは義母の世話をすべて義父がしていた。

義父が亡くなってから8年間はあや子さんがした。

義母は体の大きな人で体重が60キロあった。風呂場ははなれたところにあったので背負って行った。白内障の手術もした。

そのころには、難しいことも言わなくなって可愛らしくなっていた。

「すまんね、毎朝毎朝、熱い味噌汁をもろうて食べて、おらも幸せじゃ」

と言って喜んだ。

 

ご飯と汁を作って食べさせてから、畑仕事に行く。

昼食用に弁当と、ポットにお茶を入れておいた。

寝たきりになったのは2年間ぐらいだ。

畑仕事や人に雇われて仕事にも行っていたが、後には家にいるようにした。

 

義母が寝たきりになったのは、あや子さんが40歳くらいの時だった。

義母が患ってからの8年間は家を留守にしたことはなかった。

「若い頃にはいろいろあって、ばあさんも私に刺し串みたいに当たったこともあったけんど、孫がいるし、じいさんが死んでからは私を頼り切ってね、看ちゃらないかんおもうてね」

体が不自由になると義母が可哀想に思えた。

義母もつらかったのだろう。自分の足が動かなくなってからは

「もう死にたい。死んだらえい、おまんばっかりに迷惑かける」

とあや子さんが世話をするたびに言った。

あまり言うのであや子さんも腹を立てて

「ばあさん、それっぱあ死にたいがか」と言うと

「もう、死にとうてたまらん」と返えってきた。

ちょうど入り口に紐があったので

「死にたかったらこれで、首をつりや」と紐を義母のほうに放り投げた。

義母はどうするだろうと思って見ていたら、泣く泣く紐をポンと放り投げて

「もう死ぬことはやめた、おら、よう死なんわや。もうあや子に世話かけないかんわや」と泣きながら言った。

「もうやめたか、もう死ぬじゃいうもんでないで」

ということもあった。

 

義母は足の立つうちは自分でトイレに行った。

ちょっと値が張ったが洋式のポータブルトイレを特別に注文した。

ベッドはなかったので、ミカン箱で高めの台を作った。その上に畳を一枚敷いた。

その横にポータブルトイレを置いた。

 

義母は気丈な人でおむつを嫌がった。

寝たきりになってもおむつをしたことは何日もなかった。

おむつはネルの寝間着や毛布をきれいに洗ってとっておいたのを切って使った。

貧乏してきたので物をつてられないという性格が役に立った。

汚れたおむつは洗っても臭いが取れないので、

自分のところの杉山に穴をほって埋めた。

 

長い着物は少し短めに切った。

 その着物もあや子さんが自分で作った。

さっと着られるように袖なしの半纏も作った。

「のうがいい(使い勝手がいい)」といって義母も喜んだ。

 

おかずを特別に義母に作ったということはないが、柔らかいところや良いものをあげた。義母はなんでもおいしい、といって食べた。

40代になったあや子さんが一番心配したことは

「ばあさんがいつまで生きるか。私が元気なうちはばあさんを看るが、年がいってからではよう世話は出来ない、困ったよ」ということだった。

 

表彰

 

地区の区長さんから話があったとき

「私は表彰をうけるようなことはしてないけね、表彰はいりません」

と最初あや子さんは断った。

しかし、民生委員などに「絶対にお前はよう看たき、表彰されることになったがじゃき、いてきいや(行っていらっしゃい)」と説得されていくことにした。

 

県庁へは夫と一緒に近所の人に車で連れて行ってもらった。

そのときに副賞として目覚まし時計と湯呑セット、そして表彰状を貰った。

義母は「お前がよう看てくれたきもろうたがやき、よかった、よかった」と言ってねぎらってくれた。夫は

「お前はようやったね、おらがおらん間もお前は家の中のことようしてくれた」と言った。その時に、今までの苦労を思ってあや子さんは初めて泣いた。

子供に「表彰された」と言ったら、「おばあちゃんをよう看たけよ、母ちゃん。それほどにばあちゃんにせんと、ちと、母ちゃんも休みや」と言ってくれた。

 

晩年は義母も優しくなっていて、

「あや子がおらないかん、あや子のおかげでおらは生きちょるんだ」ということをいつも言っていた。

あや子さんも「おばあさんがよかったから、もらえんような賞をもろうて、私もね、おばあさんに感謝した」という心境になった。

そして昭和52年に義母は亡くなった。

 

そして、いま・・・

 

「私がしたようなことはもう絶対に嫁も娘もようせんと思うちょります。それどころではないです。年寄りは汚い、おじいちゃん、おばあちゃんはいらん、という人がおるがじゃき。また私も、私がしてきたようなことを嫁にも娘にもさせとうないと思います。自分のことはできる限り自分でして、もうようせんとなったらホームへ入るとか、そういう方法をとるしかないと、私がしたことを子供に「せい」と言っても無理だし、絶対にさせたくありません。」

 

いままでの人生を振り返って今の若い人たちに何か?という問いには

「若い人には言われんと思いますが、年よりだけでなく弱い人にもっと優しくしてほしいと思います。この間、運動会のお手伝いに行って聞いた話ですが、45歳ぐらいの若い嫁さんと一緒に炊事をした時『昔はおばあちゃんたちはズボンも継いではいた』

というような話をしたら、をの若嫁さんが『いまわそんなにせんち(しなくても)生活できるけん、そんなにせんちかまわん』と言われました。今40代の人がそういう生活をするということは、その子供が私たちみたいなお婆さんの年代になったときには、どういう生活をするかと不思議に思うがですよ。田舎の若い嫁さんがそう言うがです。『いまはお金がどんどん取れる。それで何でも簡単に買って食べる。手間を掛けたり節約する必要はない』と言うがですよ。そうかなあと私は思います。」

 

そして最後に話してくれた。

 

「最近は旅行に行くがです。主人と一緒に。年に2度ぐらいは。『お前の8年間はどこへも行かんと世話したけ、大変じゃった』と主人も言います。ハワイへも行きました。今は大学4年になっていますが、孫に『大学受かったら連れていちゃろう』と言っていたら、2人とも大学に受かって、それで主人と孫2人、それから私の一番下の兄弟の娘とね、ハワイへ行って来たがです。うんと旅行が好きでね、中国へも行って来たし、今年は沖縄へも行って、それから富士山へも行って来たがです。主人と一緒に。富士山は雪があって登れざったがです。主人も昔は気の荒いところもありましたが、今はわかってしもうちょるき、旦那はこんな男じゃと。おなごがこらえんと、男にこらえ、言うても絶対にダメじゃき。えらいけんかする年でもないわねぇ。孫がね、孫が小遣いを欲しがるき、孫に小遣いを取られて、旅行するのが楽しみながです。」  以上

 

 

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モンペをはいて洗いざらした割烹着を着て、麦わら帽子をかぶって仕事に行く毎日の、お嫁さんの秘密の楽しみは朝起きて一番にするお化粧だ。何万円もするクリームをぬる、化粧水をたたく。ファンデーション、頬紅、口紅、全て高給品だ。

旦那も舅も化粧のことには口を出さない。化粧水が何万円もすると言われたらそういうもんだと思っている。

 

【韓国ごはん】野菜たっぷりビビンパを作った

ビビンパ料理本を作ってみようシリーズ

 

ビビンパをお弁当にしてみました。

 

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材料:キュウリ、ゼンマイ(水煮)、ニンジン、大根、キムチ、豆もやし、ひき肉、白飯、玉子、塩、ごま油、砂糖、醤油、一味

 

作り方:

①キュウリはスライサーで薄切りにする。大根、ニンジンは千切り器で千切りにする。

②ゼンマイ(水煮)は器に入れて本だしと醤油をかけてラップをしてチンする。

③ひき肉は少量の砂糖醤油で炒めておく。

④キュウリ、ニンジン、大根を別々に塩、ごま油で味をつけて軽くもんでおく。

⑤温泉卵を作っておく(生卵の黄身でもいいし、なくてもいい)

⑥白飯のうえに色どりよく盛り付ける。あればコチュジャンを添える。

 

 

ポイント1、他の野菜はなくてもいいけど豆もやしは絶対必要、味付けもやしを買うのがいい。ゼンマイも味付けを買うとか、コチュジャンの代わりに一味と蜂蜜を混ぜて使うとか、なくてもいいし、辛いのがよければ一味をふっておくだけでもいい。

👇こんなの

 

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お弁当ビビンパ完成!

 

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面倒なようで、やってみたらけっこうカンタン!

あっさり味で野菜がたっぷりとれてノムノムgood!

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おうちで楽しく 「韓国ごはん」

韓国料理って、白いごはんに合うし、肉や魚介といっしょに野菜がたっぷりたべられるし、おいしいのはもちろん、体にとってもいいことずくめ。

お店で食べるだけじゃなくって、おうちでも作れたらうれしいですよね。

でも特別な食材や調理道具がいるのだろうと二の足を踏んでいませんか?

 

普通のスーパーで手に入る食材と、おうちにあるなべやフライパンで作れるレシピだったらどうでしょう?

この本で紹介しているほとんどが、そんなレシピです。

作りなれてきたら、専門店で材料をもとめるのもいいですね。

 

さぁ、はじめましょう!

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おうちでおいしい韓国ごはん (主婦の友実用No.1シリーズ)

おうちでおいしい韓国ごはん (主婦の友実用No.1シリーズ)

 

韓国ドラマを見ていると、お見舞いとかには正官庄をもっていくし、韓国旅行で地元の人がススメるし、で唯一飲んでいる正官庄、高麗人参紅参タブレット