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ちょっと前の老人介護「模範嫁」を訪ねて・・・はじめに。

模範嫁を訪ねて・・・介護保険の現代的意味を考える

高知県 2000年度 ソーレ女性活動・研究支援事業

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はじめに

 

私達は、介護の実態をしらべようとして、高知県の「模範嫁」表彰制度を知った。

最初私たちは「介護してきた模範的な嫁を表彰する」という時代錯誤的な発想に出会い、ひどく驚いた。

 

介護はほとんど嫁の肩にかかっている実情の中にあって、行政がその風潮を支持し表彰する。そして、表彰を受けたことによって、模範嫁たちはこれまで以上に介護をたった一人でおわなくてはならなくなる。

行政が何のてだてをうつことなく。老人介護をますます嫁一人ににおしつけることになる制度なんて、無策を超えて残酷なことではないか、というおどろきである。

 

この率直な思いを出発点として、私たちは模範嫁を訪ねる旅をスタートした。

 

1⃣ 研究の目的

 

2000年は介護保険がスタートした都市である。

高知県は2000年秋には高齢化率23.0%という、全国でも屈指の高齢県である。

どこにもまして、介護は緊急の大きな課題であることはまちがいない。

 

介護は、これまで家庭内の女性の仕事とみなされ、嫁や妻の肩にかかっていた。

では、その実態はどのようなものであったか。

それを調べようとして、私たちは高知県が行った「模範嫁」表彰制度に注目した。

 

これは1970年(昭和45年)から1985(昭和60)年まで「模範嫁」表彰として行われ、1986(優良家族介護)表彰という名称に代わり、1993(平成5)年まで24年間続けられてきた制度である。

 

介護保険の導入によって、手助けの必要なお年寄りの介護が、これまでされてきたような嫁や妻等、家族の中の女の肩かけではなく、社会全体で支えるようになるという。

天地がひっくり返るような、介護の社会化という壮大な理念は、はたしてどのように実現していくのであろうか。

 

私たちは、模範嫁の貴重な体験を検証することによって、介護保険の現代的意味を考えたいと研究に着手した。

 

 

2⃣ 模範嫁について

 

「模範老人、模範嫁及び優良老人クラブ、表彰要網」には、模範嫁の表彰用網がある。

 

「長年にわたって老人の介護をし、その献身的な行動が他の社会一般の模範となるような嫁を表彰し、これを賞讃し日頃の労苦に報いるとともに、敬老に対する県民一般の認識を高める。」という目的のものである。

「30歳以上にあっておおむね5年以上、30歳未満のものにあっては1年以上寝たきり老人の介護をしている嫁(孫嫁を含む)」このような資格が定められているうえに次のような条件も課している。

 

・常に強固な意志と信念をもって明るく誠実な生活を営み、人格円満で寝たきり老人の介護に心身共につくしている模範的な嫁であるもの。

・過去において、この表彰を受けたことがないもの。

推薦は・・・

「表彰に適すると認められるものについて、各市は模範嫁候補1名(高知市は2名)以内を知事に、町村は所管福祉事務所長に、それぞれ別紙様式により推薦すること。」

となっている。

 

1971年から1992年までの資料には、7町村以外の全県各市町村から推薦された合計218名が表彰されている。

 

3⃣ 模範嫁表彰の制度が廃止されたのは15年(2000年時点)以上まえのことであるから、県庁には資料が残されておらず、新聞記事等を頼りに模範嫁を探し出した。

ぶしつけながら手紙を差し上げ、そのあと電話などで連絡することのできた方に,意図を話し了承を受けた後、ご自宅を訪問して聞き取り調査をした。

 

すでに亡くなっていたり、病気で話が出来ないと家族に断られたり、老人ホームなどに入られたなどの理由で、お会いすることのできない方もあった。

 

4⃣ 調査の対象者

 

①人数:聞き取り調査ができた模範嫁は12名である。

② 調査地:取材に訪ねた模範嫁の家は、市中心部及び周辺部、郊外、山間部、海沿いなど県内の西から東まで各地にちらばっている。

③出身地:全員が高知県出身者である。

④年齢:対象12年生まれの78歳を筆頭に、75歳以上4名、66~70歳4名、61~65歳3名、最年少が昭和17年生まれの59歳であった(2000年時点)

⑤表彰を受けたときの年齢:最年少28歳、30歳第名、40歳6名、50歳代1名

⑥結婚した年齢:18歳3名、19歳4名と10代の結婚が半数以上を占め、20,23,24,26,27歳が各1名であった。

⑦結婚したときの家族数:6人家族2名、7人家族3名、8人家族3名、9人家族2名、10人と11人家族がそれぞれ1名であった。なお、このうち長男との結婚は8名、それ以外は4名であった。

⑧婚家の仕事:農業7名、漁業1名、商店1名、土木出稼ぎ1名、会社員1名、製造業1名とい営業がほとんどであった。

⑨現在の家族:夫と2人が5名,1人のみが1名、夫と息子夫婦と同居が5名、義母と2人が1名である。

⑩婚家先とは違う仕事を持った人:調理員、日雇い2名などである。現在も職に就いている人は寮母、農業(街路市出店を含む)、商店がある。

 

今日は2018年3月26日です。

いまから18年前に高知新聞に載った「模範嫁を訪ねて」の調査ボランティアの記事に目を止めて、参加させてもらいました。

総勢20名弱ぐらいの様々な女性たちといっしょに、現地に聞き取り調査に行ったり、原稿を書いたり、して一冊の小冊子を完成させました。

高知県というのは都会とは違って、個人の権利とかいうよりも、家を守るという意識が強い所だと思います。

それは、県土の8割を森に囲まれた広大な面積の高知県特有の生きる知恵だったのかもしれません。

コンビニもない、女が働くところもない、テレビもないようなところで、女たちが3食のすべてを賄い、仕事もして介護もして子育てもしてきました。

 

いまでは考えられない過酷な状況の中で生きてきた、貴重な証言をこのブログに掲載したいと思います。

次回は当時の暮らしの様子、出産、日常の暮らし、を綴りたいと思います。

 

 

 

 

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