時間とお金ならある65才ブロガーのあんかけ(@guam345)でーす。
ちょっと前まで一日15時間働いていました。
朝5時に起きて夜9時まで起きてる間中ずーっと仕事でした。
弁当作るの好きだし、年とってもやれるかなと思って始めました。
弁当屋をやっていたんです。
週休2日あったんだけど、あまりにも大変なので、2年もしないうちにやめました。
自分で自分をブラックに追い詰めていた、わけです。
「持たない幸福論」という本があるらしい。
働きたくない、家族を作りたくない、お金に縛られたくない、
という京都大学を出たニートで有名な人が書いた本です。
なぜそんなに働いたのか、それも自分から、それを検証してみたいと思います。
目次
1、働くことがすべてに優先すると思っていた。
2、仕事をしないと、居場所がなかった。
3、働かないとごはんが食べられないと思い込んでいた。
4、能力がないのだから身を粉にして働いて人並みになれると思っていた。
5、気が付いたら65才だった。
1、働くことがすべてに優先すると思っていた。
仕事さえしていれば、すべてゆるされる時代があったのです。
そうでなきゃ、結婚したての幼い子供もいる会社員が単身赴任でアメリカの田舎町に住んで、車売り歩くなんてことはないはずだ。
仕事のため、といえば親の死に目に会えなくても良しとする、価値観があった時代があったのです。
仕事があるから、と一言いえばなんでもパスできる時代があったのです。
2、仕事をしないと、居場所がなかった。
お母さんをイメージしてください。お母さんっていつも何かしら働いていないですか?
洗濯したり、掃除したり、ごはん作ったりして立ち仕事してましたよね。
仕事してないと、居場所がなかった。
台所にいれば、とりあえず何かすることあるし、
仕事してるみたいにみえるから、台所はお母さんのお城とはよくいったものだ。
仕事しないで、何にもしないで、黙って静かに2時間でも3時間でも座っていられる場所がなかった。仕事場にさえいれば安心できた。
3、働かないとごはんが食べられないと思い込んでいた。
幼い時から「人間は働かないかん、働かない人間は食うべからず」とおばあちゃんに言われて育った。
ご飯を食べるためには働かなくてはいけないと本気で思い込んでいた。
ご飯が食べたいから一生懸命働いた。ついでにビールも飲みたいからもっと働いた。
ご飯が食べられる、ようになっても、働かないでご飯をたべるのはインチしてるみたいで、いやだった。
4、能力がないのだから身を粉にして働いて人並みになれると思っていた。
一生懸命働くのが一番簡単だった。
だまってコツコツと働いていれば、とりあえず成果らしきものが少しずつでも出た。
人より劣っているから、それを補うのは人よりたくさん働くことだと、昔読んだ啓発本に書いてあった。
何が大切なのか、いまここで重要なことはなにかとか、は考えないでただ働いてきた。
5、気が付いたら65才だった。
お弁当屋をはじめたのが63才のときだった。朝5時前に起きて、50人分のご飯を炊いて、おかずを作って、お弁当箱につめた。
ランチもやっていた。クレージー!
お店に泊まり込んで、お弁当屋をやっていた。買い物いって、あしたのおかずの下ごしらえをして、お米を洗って、夜の9時にはねます。
気が付いたら65才になっていた。もうそんなに働くのはやめよう、と思った。
私が作ったお店、わたしのすきなようにできる、お店をやめた。
というわけで、あんかけ的反省文でした。