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【模範嫁】祥子さん41年義母を介護~②

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昔の結婚生活を伝えたくて…

2000年に「高知女性の会」のメンバーが、

「模範嫁」として高知県知事から表彰された218名のうちから

了解をいただけた12名の方のご自宅を訪問して

聞き取り調査を行った活動報告の小冊子から転載しています。

 

 

 

 

まず①から↓お読みください

 

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表彰

 

 

模範嫁の表彰をうけるのは、とても嫌だった。

認めてもらえたということは、この上ないことではあるが、

「あんなこともしてあげたらいいが、今日はしかたがないか」というように、

自分自身満足な介護をしていたわけではなかったからだ。

「もっともっと用をすましてあれもしてあげたら」という思いが常にあった。

「いきなりのことですんでいた」

「表彰もらうほどのことはしてないのに」

「当たり前のことをしただけじゃに」という気持ちがあったので、

「絶対それは嫌です」と受賞を断った。

 

受賞も、まえもってしらされるわけではなく、敬老の日の授賞式の5日くらい前に

村役場の住民課の職員が知らせてきた。

それまでは全然話にもでてこなかった。

住民課の課長が車で授賞式に連れて行ってくれた。

 

出かけるとき義母に「行ってくるから」と声をかけると、

「それは当たり前のことじゃ、言ってこにゃあかん」と言って送り出してくれた。

その日は子供たちが義母の介護をしたのではないかと記憶している。

子供たちも義母の下の世話を含めてできるようになっていた。

 

祥子さんは日ごろ子供たちに「かまわんときは、おばあさんの世話をしちゃってね」と教えていた。

子供たちは「子どもでも介護をする人はおるろうね」と祥子さんに質問することがあった。「介護が大きなプラスになることもあるろう」と子供たちに言い聞かせた。

 

授賞式では、模範嫁の代表が表彰状と記念品をもらい、記念撮影をした。

表彰状は家のどこかにしまってあり、飾っていない。

「せっかくだから、表彰状を掛けたら」と言われ、一時期掛けたこともあるが、

いつも見える状態にしておくのは妙に照れくさかった。

 

義母には、一度も表彰状を見せたことがない。

義母に時計をみせると「こんなにしてもらうのは、当たり前や」と言った。

その言葉を聞いて「あまり世話も行き届かんのに、おばあさんにこんなに思うてもらえるかなと感謝した」と言う。

祥子さんはこれまで以上に義母を大切にしなければならないと思った。

 

夫にも表彰状を見せたことがないし、受賞のことを言ったこともない。

その理由を「感無量ですけど、てれくそうてね」とも、

「主人にまで言うほどのことはしていない」とも言う。

夫も祥子さんの受賞は知っていただろうが、そのことについて祥子さんに一言も言わなかった。

2人は今に至るまで模範嫁表彰について、何も話したことがない。

 

小学生だった下の子が「お母さんよかったね」と言ってくれた。

しかし受賞式当日、義母の介護をした2人の子供たちにも表彰状は見せていない。

近所の人は「まあよかったね。偉かったね」と言ってくれた。

そして今でも近所の人は

「以前はサービスもなく大変だったのに」と言って褒めてくれる。

そんな時、祥子さんは「気の付かんもんで、その日がただすんだだけのこと」と言う。

 

高知県の模範嫁表彰のほかに、A村からも献身的、模範的な介護に対して表彰された。

その授賞式は村のコミュニティーセンターの落成と合わせて行われた。

その時、参列者のひとりから「今日の華でしたね」と言われた。

その受賞についても「こんなことしてもらうもんじゃないのにと思った」と言う。

そんな気持ちもあって、授賞式で胸につけるリボンを高い位置につけることができず、できるだけ下につけた。

祥子さんは自分自身のことを「野暮といいましょうかねぇ、おかしいですよね」と言う。

 

 

介護保険やサービス

 

介護保険で、お世話になるのが皆というわけんいはいきませんよね。制度には逆らえませんろうかね」と言う。

A村にも入浴サービスが週に何回かあるが、

「あんな風呂は心配じゃ。うちのぼろ風呂がえい」と言う人も、

「老人ホームも嫌いじゃけど、仕方がない」と言う人もいるという。

 

また、宅配弁当のサービスは山の上に住んでいる高齢単身者にはとても便利だが、好き嫌いのある人にはなかなか馴染めない。

高齢者の変化に対する抵抗感とも、諦観とも言える話である。

いつまでも夫婦とも白髪で生活できるはずがなく、どちらかが先立つ、そうなると、一人特に夜の一人ぼっちは寂しいさろうと、近い将来を想像する。

1人暮らしの高齢者を週1~2回でもヘルパーか誰かが訪問し、声をかけるといったサービスがあれば嬉しいだろうと考える。

 

義母のこと

 

義母は最後まで意識はしっかりとしており、一日中ラジオを聞いていた。

「私はおばあさんに聞くがです」と言うほど、

義母からいろいろと社会の動きを教えてもらっていた。

 

義母は「祥子さん」と呼び、義姉や姪たちが来ると「よう世話してくれる」と、

恥ずかしくなるほど、祥子さんのことを褒めた。

姪たちは、義母が寝たきりの状態で退屈しているだろうからと、よく泊りがけで来て、

話し相手をしてくれた。

義母は「とっと山の空に誰がきてくれるかね」と言って、わざわざ来てくれた姪たちを歓迎し、祥子さんも共に喜んだ。

実の娘が,婚家の様々なことを義母に話したら

「そんなこと言うもんじゃない、祥子さんに恥ずかしいで」と祥子さんの働きを評価し、見習うよう諭したこともあった。

 

義母は「食べたいものは食べたらえい」「無理したらいかん」と祥子さんを気遣った。

義母自身は若い時よく働いた。

しかし、楽しむ間もなく病気になり身体の自由が徐々にきかなくなったことを、

「子供がふっとって(大きくなって)嫁でも来てもろうたら、行きたい所へも行こうかと思ったのに何一つかなわん身体になった」と祥子さんに語った。

 

祥子さんは介護中に土日を利用して「四国参り」をしている。

その間祥子さんに代わって子供たちが義母の世話をした。

義母はいつも「欲を捨てたらいかん、欲もなけりゃあいかんけど、意外な欲にはようばん」と話していた。

 

 

義妹は独身で、定年後の2年間を祥子さんたちと暮らし、義母の世話をした。

それは定年になる前からの義母と義妹の約束だった。

実際、約束どおり、付きっ切りで世話を下。

実の親子同士のほうがよいだろうと思い、祥子さんは遠慮していた。

 

義妹が本当の親子だからこそ遠慮なく言い合った時に義母が、

「かまん、かまん。おまんじゃのうても、祥子さんが居るきかまん」

と言ったこともあった。

 

義母は一人で静かに亡くなった。

世話をしていた義妹が義母のところから離れた部屋で食事をしていた。

義母が大きな息をしたなと思った時、食事をしていた義妹が

「いや、みょうに、息ひきとったにかわらんで」と言い、

部屋に行ってみると亡くなっていた。

祥子さんは何か寂しく、

「これはやっぱり嫁かなあ」と思った。

 

      【模範嫁】祥子さん41年義母を介護  完

 

 

 

 

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