【読書】土井 善晴 著「一汁一菜でよいという提案」から考えた家庭料理
家庭料理、日常料理の場合、あたりまえの調理以上に手をかける必要はない。
泥を洗い、食べやすく切って、火を入れる。
この基本的なながれにあるものは手間とは言いません。
家庭料理においては手を掛けず、旨さを追究しないことが、美味しさにつながります。
きっかけは、今日の料理でエビチリを教えていたのを見て、
作りやすそう、作りたいと思った。
その次に、この先生の本を読みたいと思った。
TSUTAYAで「一汁一菜でよいという提案」の題名が気になった。
理由は3か月の骨折入院をしていたその時の病院食が
朝ごはんは白米、味噌汁、ふりかけ、だけだった。
そのときに思ったのは、栄養士さんが考える朝ごはんがこれか、
これでいいんだ、ご飯と、味噌汁とふりかけだけで。
土井 善晴という生まれたときから料理まみれの男が、だって、土井 勝が父親だよ、
料理について語っている本です。
時短の手抜き料理の本ではないです、粗食にしてやせる、という本でもないです。
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いちばん大切なことは、一生懸命に生活すること
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暮らしにおいて大切なことは、自分の心の置き場。
心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思う。
その柱となるのが【食事】です。
毎日食事をすることで、自分がコントロールするところへ帰ってくる。
一汁一菜とは
【システム】であり考え方であり、
【美学】であり
【生き方】だと思う。
家庭にあるべきおいしいものは、穏やかで地味なもの。
私たちがものを食べる理由はおいしいばかりが目的ではない。
家庭料理はおいしくなくていい。
「慎ましい暮らしは大事の備え」
「簡単なことを丁寧に」
一汁一菜は決して手抜きではない。
日常の家庭料理は手を掛けないもの、それがおいしさにつながります。
泥を洗い、食べやすく切って、火を入れる、この基本的な流れにあるものを
手間とはいいません。あたりまえの調理です。
日本には「ハレ」と「ケ」という考え方がある
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日本には手を掛けるもの、手を掛けないものという
二つの価値観がある。
相反する二つの価値観を並存させ、けじめをつけて区別する。
地に足のついた慎ましい生活とハレの日の贅沢、
両方を使い分けて、日本人の幸せはある。
暮らしとは、毎日同じことの繰り返しです。
毎日同じ繰り返しだからこそ、気づくことが沢山ある。
毎日、毎食の一汁一菜、同じものを作っているつもりでも、
四季の変化とともに、おのずと変わってきます。
毎日の営みである【食事】には人間の根源的な生きる力を養う働きがある。
買い物をする→下ごしらえ→調理する→【料理】→食べる→片づける
人生とは、食べるために人と関わり、
働き、料理して、食べさせ、
伝え(教育)、家族を育て、命をつなぐことです。
【料理する】を省略できる現代の日本
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生きるための学習機能を失うことになり、
行動して食べることが、こころを育てると考えれば、
大いに心の発達やバランスを崩すことになってしまいます。
台所の安心は、人の心にゆるぎない平和をもたらします。
いつもいつも一緒に食卓を囲まなくても、
帰ったら、温めればいい味噌汁があって、ご飯が冷凍庫にあればいい。
おいしくなくてもいい家庭料理。
家庭料理がいつもいつもごちそうである必要も、
いつもいつもおいしい必要もありません。
家にある材料は、いつも新鮮なものばかりではなく、
うまく煮えない芋もあるし、腐りかけの豆腐だってある。
家の中でありとあらゆる経験をしているのです。
上手でも下手でも、とにかく、出来ることを一生懸命することが一番です。
一緒に食べれなくてもいい
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食育では一緒に食べることの大切さが説かれるけど、
商売をしている家族、親が働いている家庭では一緒に食卓を囲めないのは当然で、
親が用意した汁を自分たちで温めて、子供だけで食べる。
それでも大切なものは、もうすでにもらっている。
それが、手作りの料理です。愛情そのものです。
だから、別に一緒に食べることばかりが大切じゃないです。
おいしい料理ができるのは技術ではないと思っています。
”普通の人が作るものに、特別おいしいものもあるのです”
高価なお料理よりも、何もしないのに美味しい料理がある。
お金の価値では表せない、きれいなものがあるのです。
日本には大自然と人間の間に、断絶するものがありません。
大昔も今もこの孤島には、自然と人間は平衡しています。
ゆえに古いもの、中くらいのもの、新しいものも一緒にして、今に生かせるのです。
料理することは、生きることです。
大昔も今も、料理することで、大自然に直接触れているのだと信じるのです。
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食事という行為は買い物をして、準備をして、考えて、切ったり、煮たりひっくりかえしたり、して出来上がったものを盛り付けて、食べる。
食べたら、後片付けをしてひとまず終了。
毎日の普通の食事を通してあらゆることを私たちは学んでいる。
いろんな事件が起こるたびに思うのは、
事件を起こしてしまった人たちは、料理したものを食べる、だけでなく
準備をしたり、後かたずけをしたり、
自分が気に入らないものも美味しく食べる工夫をしたり、
美味しく出来てなくても、文句を言わずだまって食べるとか
食事のまえに、いただきます、食事のあとに御馳走様を言うとか
ができていたなら、大それた事件にはならなかったのではないかと、、
食事を大切に丁寧にすることによって、人生を学んでいると思います。
この本は主婦と呼ばれる、ごはんを毎日作らなければならない人に向けた本ではなく、
生きているオトナに向けた本です。