2000年に「高知女性の会」のメンバーが模範嫁を訪ねて、聞き取り調査をしてまとめた小冊子から転載しています。
模範嫁とは・・・常に強固な意志と信念を持って明るく誠実な生活を営み、人格円満で寝たきり老人の介護に心身共につくしている模範的な嫁。
高知県では1970年から1993年(平成5年)まで24年間
「模範嫁」「優良介護家族」という名称で模範嫁を表彰した。
「表彰状 〇〇〇〇殿 あなたは今日まで家業に精励されるとともに長年にわたって病床にある御母堂(あるいは御尊父)の介護に献身的に尽くされました行為は他の模範とするところであります ここに敬老の日にあたり記念品を贈り表彰します 昭和〇〇年9月15日 高知県知事 〇〇〇」
受賞記念品は急須と湯呑セット、風呂敷、目覚まし時計、お盆、レターラック、コーヒーカップ、の中から2~3品を組み合わせたものだった。
介護の社会化にあたって
模範嫁たちは自らの体験から、ほとんど全員が「私たちがしたような介護はこれからの人にさせたくない」と言った。
介護にかんしてこれは模範嫁たちの確固たる意見である。
このような模範嫁の意見に、介護保険はきちんと答えなくてはならない。
一方、私たち一人一人を含めてほとんどの日本人は、長いこと介護を嫁の仕事としておしつけてきた民族であるということを、ここできちんと認識しなくてはならない。
私たちを含む圧倒的な多数が介護は誰か他の人がやるものだと思ってきて、それを嫁に押し付けてきた。
行政さえもそうであった。
このことを私たちは肝に銘じて自覚しなくてはならない。
そこへ、介護を社会化するという発想が出てきた。
このことに、私たちはどう取り組んでいくのか。
これをストレートにこれまでの介護のやり方で捉えたら、これまで嫁に任せていたことを、今度は介護保険に肩代わりさせるだけのことになりかねない。
嫁から丸ごと介護保険に移行して終わりという、嫁以外の全ての人のスタンスはこれまでと全く同じで、模範嫁の体験から何も学ばなかったことになる。
嫁がしてきたことをまるごと、今度は介護保険に押し付けるという危険は回避しなくてはならない。
社会化ということの意味は、誰かが専門にやるということではなく、だれもができることを担っていくということではないだろうか。
嫁が可哀そうだから、今度は介護保険にさせようでは、そのリスクは介護される人にかかってくる。
そうであれば、介護保険が十分な機能を果たすことにはならない。
社会全体、家族全体、つまり、国民の誰もが、介護に何らかの参加をすることを始めなくてはならない。
これまで「(介護は嫁に)任せたのだから、よけいな口出しはしない」という言い訳をもって、全面的に嫁に介護を押し付けてきた文化は、男女の役割分担の中でだけ、物事を決めてきた。
一緒に相談しながら考えていく、構想をまとめていく、ということではなかった。
実は私たちは家庭の中でみんなで考えてそれを実行する、
新しいことを創り上げていくということを全くしてこなかったのではないか。
男と女の役割を決め、介護を嫁に押し付けることで、考えることなく来れた時代は終わった。
動物の世界には、生まれたものを育てることはあっても、年老いたものを看るということはないと言う。
ならば、介護は人間だけができる崇高な行為であると言えるだろう。
それを嫁や介護保険だけに頼ってはならない。
男も女も老いも幼いものも、あらゆる人が介護という土俵に上がってこそ、社会全体で支えるという行為が実現される。
この新しいことに果敢に挑戦する勇気は、男や女の役割だけに逃げ込んできたこれまでの日本人が、一人の人間として大人の文化を創造することに他ならない。
みんなで考えて支える介護を
模範嫁を訪ねてわかった介護保険の現代的意味は、みんなで支える介護という概念の新しさである。
これまでひとえに嫁が支えてきた介護を、社会みんなで支えるということは、日本人にとって初めての試みである。
みんなで支えるというのは、単に経済的なことだけでなく、具体的に労力や能力や才能や励ましなどを提供することなどがあげられる。
家庭での具体的な家事や介護の参加にも言えることであるだろう。
これは、家制度によって強固にされたジェンダーを見直して、現代に生きる私たち人間の新しいコミュニケーションを考え直すことでもある。
男女が役割を制限され、別々の世界で生きることの寂しさを模範嫁から学んだ私たちは、男も女も大人も子供も家族全員ができることをして、いくための具体的方法を見つけなくてはならない。
男女共同参画社会の実現は、家族全部で看る、社会全体で看る介護を保証する中心的な要素の一つであるに違いない。
おわりに
この研究は、模範嫁を生み出した構造の本質を、会員の一人一人が自分の暮らしと重ねて理解したときから本格的にスタートしたといえるだろう。
模範嫁の個性や一人一人の境遇などを超えて共通する点を自分たちの暮らしに見つけたときから、模範嫁は私たちとなった。
模範嫁と私たちは同じところに生きている。
暮らしの大変さは比べものにならないが、模範嫁を生み出す構造はかわっていない。
ある山間部の模範嫁を訪ねた時,辺りは遅い山の春に鳥がさえずっていた。
私たちは休憩の時に、深呼吸しながらこの光景に見とれたものだった。
一瞬の後、私たちは「介護の数年間無我夢中でした。若かったからやれたんです」という模範嫁に、この景色を楽しむ時間など全くなかったことに気が付いて息をのんだ。
今、現に介護しなくてはならない嫁の立場にないということは、このようにも暢気になれるということであった。
この資料は私たちのグループだけのものでなく、人間のより良いコミュニケーションを考える皆の共有物としたい。それが、貴重な体験をお話しくださった模範嫁の皆さんのご好意に応えることであると思う。
最後にこの研究を助成してくださったソーレと、訪問に応じてくださった模範嫁のみなさんに、心からお礼を申し上げたい。
初めは、ほとんどの方が、「特別なことをしたわけではない」「当たり前のことをしただけ」と辞退された。
話すことは何もない、などと言われたが、無理にお訪ねして本当に良かった。
皆さん、ご苦労をやり抜き、超えてこられ、しっかり地についた人生をおくっていらっしゃる。(ほんとうに、あれほどの苦労を乗り越えられたのに、みなさん美しかった、イキイキしていて幸せそうだった)
模範嫁たちは、介護だけでなく、人生の模範となるべきひとびとであった。
この方たちのご協力なしにこの研究はできなかった。
こころから感謝いたします。
※差別用語・不快語について
職業や地域などについて、差別の観念を表す言葉とされ、言い換えることが多い言葉も今回の聞き取り調査では使用した。それは、模範嫁である彼女たちが生きた時代の言葉を使用することは大切であると考えたからである。
百姓は農家や農業 産婆は助産婦 用務員は公務員や校務主事 部落は集落や地域 など読み替えてください。
👇ぜひ、はじめから読んでください。