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a day in my life

「アバウトシュミット」Amazonで楽ちんに洋画鑑賞

 2月はAmazonプライム無料体験で映画を見た。

 

「アバウトシュミット」「愛する人」「グッドライ」「ルーム」「サニー」

 

久しぶりに韓国ドラマ以外を見て、洋画もとっても面白かった。

レビューを書いて記憶を残しておきたいと思うけれど、見てるときは映画に集中している、見終わって、興奮して、いい映画だったな、という言葉しかでてこない、

それを後日どうやって分量のある文章にするんだ、が、うろ覚えながら、ひとのレビューに影響されながら、やってみよう。

 

 

見たきっかけは,ジャック・ニコルソン主演、この一言に尽きます。

年を取った名優がなにするんだろう?的な興味で見始めたら、共感できる部分がたくさんあって、引き込まれていきました。

 


  

 

あらすじと感想のようなもの

 

アメリカでは社会補償金を受け取ることができるようになるのが66歳、だからといって66歳で定年退職しなくても構わないわけです。 ただしアメリカで退職する人の平均年齢は62歳であり、社会補償金を受け取る66歳まで働きたいと考える人が増えているといわれています》

この映画の主人公であるネブラスカ州オマハに暮らすウォーレン・シュミット(ジャック・ニコルソン)が定年退職の日を迎えたところから物語がはじまります。

後任の若者はスマートでソツがなく、年長者を敬うほどに礼儀正しい。日本にはいい言葉があります、

慇懃無礼

シュミットがこれまでどれほどの実績をあげてきていたとしても、今現在においては、それは影も形もなく消え去っていています、それと同時にシュミットの存在も会社では終わったということになります、新しい流れは古い流れを押し流す、日本にはいい言葉がある、

【老兵は立ち去るのみ】

 

巷には定年後本が溢れかえっています。定年後はやってくるわけで何も特別な事ではありませんが、一流企業でまじめに一生懸命会社に尽くした男の人にとっては、昨日までの自分をすべて否定される気分になるようです。

あのジャック・ニコルソンでさえ、60過ぎたらただの年寄り扱いをされるのです、そこがリアルでした。

この導入部分で人生の悲哀が表現されていると思いました。

昨日までできていたことが、今日からはできない。

昨日まではやり手の会社員だとおもっていたけど、今日からはただの老いぼれじじぃ。

あのジャック・ニコルソンですよ、素晴らしい演技ですごい映画に出てた人でも、年を取ると過去は過ぎ去った栄華、今ではない、ということ、まして無能でばかな生き方しかしてこなかった我を思えば、生きてるだけで上等と思えたよ。

 

まぁ、しょうがない。

今度は家庭で残りの人生を楽しくやっていこう、うん、そうしよう。

ジャック・ニコルソンは思いました。

妻のヘレンと二人で、悠々自適な老後生活を送っていこう、うん、そうしよう。


ヘレンは今後の楽しみにとヘレンのお金で大きなキャンピングカーまで購入していた、シュミットの趣味ではなかったが、まぁ、いいだろう。

ヘレンとの夫婦生活も40年になる。

家の中で一緒にいる時間が長いと、他にすることがないと、今まで見えなかったことが見えてくる。

掃除機をばたばたとかける、パンの焼き方がきにいらない、服の趣味がわるい、臭い。

 

可愛くて幼かった一人娘のジーニーはデンバーで離れて暮らしていて、まったく気に入らない男との結婚を控えていた。

可愛くて賢いジーニーの結婚相手として大いに不満で、教養も不足しており、家族構成も元一流企業の役員の娘には不釣り合いとしか言いようがなく、なによりも、一番気に食わないのは、ジーニーがその男に惚れているということだ、目を覚ませジーニー。

 

近所との付き合いもあるが、とりたてて目新しいことがあるでなし、ジャンクフードをつまみながら日がなテレビを見て過ごす。

 

今までなら気にも留めなかったであろう、テレビに流れるアフリカの貧しい子どもを救うプロジェクト、暇だし、こころのよりどころがフワフワしているシュミットは”やりがい!のようなものを求めて、わずかな寄付をし、6歳のンドゥグの養父となった。

新しい趣味を見つけたよ。


シュミットにとって、アフリカに住むまだ見たことのないンドゥグへ手紙を書くことで胸のわだかまり、なんだかわからない苛立ち、を吐き出すことが楽しみになっていく。

思ったことをなんでも書いた、送った。

 

そんなある日、シュミットがいつものように外出から帰ってくると、リビングダイニングで掃除機を抱えたまま倒れたヘレンが動かなかった。

突然、40年夫婦生活をした妻ヘレンが急死した。

 

ヘレンの葬儀のため、ジーニーは婚約者のランドールと帰ってくる。
シュミットは、ネズミ講を本気で信じているようなランドールとの結婚には反対で、ジーニーに結婚式の延期を提案するが、ジーニーは怒ってさっさと帰ってしまう。

 

一人になったシュミットの生活は荒れ放題になる。
さらに自分の親友とヘレンが過去に浮気をしていたことまで知ってしまい、親友とも決裂する。

あとは娘しかいないと感じたシュミットは、真夜中にキャンピングカーでデンバーを目指すが、ジーニーにはジーニーの仕事、生活、婚約者があり、追いかけてくる老いた父親の面倒まではみてられないと、“結婚式まで来ないで”とピシャリと拒絶される。

 

結婚式までは来てはいけない、と言われたら行けない。

さあ、どうする、女房はいないし、女房の居ない家は荒れ放題、近所の友人とも絶縁中、会社に自分の居場所はすでにない。

シュミットは仕方なく、ヘレンが買った大きなあんまり気に入らない、キャンピングカーに乗って旅を続けることにした。

 

生まれた場所、母校の大学、観光地などを気ままに巡っていく。

ある晩シュミットは同じ駐車場に停泊していた気のいい夫婦のキャンピングカーに招待される。
久しぶりの楽しい夕食、自分を理解してくれる優しい奥さん。

ビールの酔いが老体に回って、意識がもうろうとした状態で突然奥さんにキスをした。

楽しい時間のすべてを台無しにして、シュミットは逃げ出すようにして、再び車を走らせる。

 

孤独なシュミットは夜空を見上げながら、亡き妻ヘレンへ、傲慢だった過去の自分を懺悔し十字架を切る。


自分は生まれ変わったと感じたシュミットは、ジーニーの結婚を阻止する決意をする。

ようやく予定の日が来て、シュミットはランドールの実家を訪ねる。
そこには、常識はずれの母ロバータ(キャシー・ベイツ)が率いる風変わりなランドールの家族たちがいた。

シュミットは結婚をやめるよう必死でジーニーを説得するが、全く聞き入れてもらえない。

何もできないまま結婚式当日となり、披露宴で花嫁の父としてスピーチをする時がきた。

新婦の父親の表情は、なにかとんでもないことを起こしそうな雰囲気です。

しかし、結局はあれほど嫌っていた新郎一家に対し、感謝の言葉を述べてしまいます。

シュミットのスピーチはこの結婚を祝福する感動的なもになっていた。

頭と心は別々です、そして心が先で頭は後からついてきます。

どういうことかというと、頭ではもっと裕福で上品な学歴の高い好男子がもっとも好ましいと理解していても、こころではじつは娘が喜ぶのならいいではないか、娘の新しい家族に感謝したい気持ちがある、という本音がとっさのスピーチに出たのではないかと、私は理解しています。

 

その後我に返ったシュミットは、席を外してトイレに行き一人悔しそうな表情で自己嫌悪に陥るのです、本当の心に嫌悪したのでした。

 

娘の結婚を阻止するという目的を果たせず、なにもかもが自分の人生の絶望的状況に思えて、シュミットはまっすぐオマハの自宅へ、大きなキャンピングカーを運転して帰る、帰るしかなかった。

 

帰宅後、留守中に届いた郵便物の中に見慣れないエアメールを見つける。
封筒の中には、シスターからの手紙とンドゥグがシュミットへの感謝の気持ちを込めて描いたという一枚の絵が入っていた。


大きな太陽の下で、手をつないで笑っているシュミットとンドゥグの絵。
それを見たシュミットの目から涙がほとぼり落ちた。

シンプルな思いやりの気持ちが心にしみた。

 

もう難しいことを考えるのはやめよう、やめてもいいんだ。

一瞬でこころが氷解した。肩が軽くなった。

自然と笑顔になって前を見る、涙に濡れた瞳に笑顔が似合った。(終)

 

監督のアレクサンダー・ペイン黒澤明監督の「生きる」をヒントにして本作の脚本を書き上げたという。

 

 

 

 

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