いつも、何かをさがしてた。

高知に住んでるおばあさんの日記

【高知グルメ】天下味で焼肉ランチはご飯大もり♪

なんか、つかれたなぁーとか、

なんか、イライラするなーとか、

なんか、はらたつなーとか、そんなときありませんか・・?

 

そんな時には親の仇うちのように焼肉を食べると解消しますよ☆彡

ごはん大盛にして真昼間から焼肉を食べにいきました^^

 

「天下味 桟橋店」の焼肉ランチが行きつけです。

 

 </p >

 

 

f:id:chizukoike:20180715130324j:image

 

👆だいたいこんなかんじです

日によって副菜が変わるというのもいいね

マニュアル化されてないってことでしょう

 

副菜

・ザ・ヤサイサラダ(キャベツたっぷり、ドレッシングも酢と油だけのフレンチドレッシング手作り、食べでがある)

 

・韓国のり(韓国のりだけでご飯の半分を食べられるので、いつもご飯が足らなくて今では最初からご飯大盛で頼みます)

 

・新タマネギのナムル(新玉ネギを水にさらして、ごま油と塩とゴマで味付けてある、すっごく美味しかった)

 

・漬物(大根をうすくいちょう切りにして、塩もみして一味でちょっともんだようなかんじ、あっさりしてとてもいい)

 

・わかめスープ(みつばがのっているのがいいね、少し塩辛いとおもう)

 

・フルーツ(パイナップル)

 

このあと、ドリンク付き(コーヒー、コーラ、メロンソーダ、バニラアイスのどれか)

で910円(税抜き)です。これが高いか安いかは人それぞれだと思うけど、

月一度ぐらいのイライラ解消には安いと思っています^^

 

 

 

f:id:chizukoike:20180715130454j:image

 

美味しそうなメニューがずっらと並んでいますが、

色々眺めて、考えて、そして、

やっぱり焼肉ランチ910円を頼んでしまいます、

毎回です、一店一メニュー、しかだめな私です。

 

たとえばえ、

吉野家・・・牛丼

リンガーハット・・・長崎ちゃんぽん

くま若蔵・・・醤油ラーメン半チャンセット

アルファ・・・ハンバーグセット

 

などといつも同じものを頼んでしまいます、

違うメニューも頼んでみたいのだけど、

どうしても、吉野家へいったら一度位はすき焼き丼を食べてみたいのだけど、

口からは「牛丼お願いします」としか出てきません。

 

では、どうするか、

手帳に今月の目標、吉野家ですき焼き丼を食べる、と書いて目標にしてしまう。

そうだ、来月の目標は、吉野家ですき焼き丼を食べる、とか

リンガーハット皿うどんを食べる、

天下味でユッケジャン定食を食べる、をやってみよう。

 

 

f:id:chizukoike:20180715130508j:image

 これでは、量が足らないので、追加でハラミ一人前と上ホルモン一人前頼みました。

焼肉ランチに行った時には、追加の肉を頼まなければ、イライラ解消にはほどとおい、

肉にかたきがあるがのごとく肉をたべるのだ。

 

今日は、気分でハラミと上ホルモンだけだけど、

カルビ、とか樽つけホルモンとか、シマチョウとか、たのむこおともある。

レバー、とか心臓とかがないのがちとさみしい。

 

f:id:chizukoike:20180715130520j:image

 

 白菜キムチ、も別途で頼みます。

旨いんですよ、ここの白菜キムチは好みです。

週刊誌を読みながら、ゆっくりと、お腹いっぱい食べる。

そうすると、イライラとかなくなっているから。

 

イライラしたら、焼肉をかたきのようにたべるか、

パスポートとクレジットカードもって海外旅行へいくかすれば、

イイと思います、ぜったい!!!

 

友子さん、結婚即義父母の介護スタート!その2

f:id:chizukoike:20180705211750p:plain

 

昔の結婚生活を伝えたくて…

2000年に「高知女性の会」のメンバーが、

「模範嫁」として高知県知事から表彰された218名のうちから

了解をいただけた12名の方のご自宅を訪問して

聞き取り調査を行った活動報告の小冊子から転載しています。

 

こちら↓その①から読んでね 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

 

 

 

はなむけの言葉

 

どんなに大変な時でも友子さんは親兄弟に泣き言をいったことがない。

それにはこんな話があった。

友子さんは6人兄弟の末っ子として生まれた。

その上小さい頃は体も弱かったため、両親は友子さんに甘く、割合自由にさせてくれた。

父は、昔風のひとでとても頑固な人だった。

姉たちの結婚は親戚の叔母が持ってきた話を、父が良いと思えばそれで決まっていた。

しかし、友子さんだけは、それを聞かなかった。

 

友子さんが嫁ぐとき、結婚式に来られない近所の人が「門出会」をしてくれた。

その時父は、高砂を謡ったり、ドジョウすくいを踊ったりして賑やかに祝ってくれた。

客が帰ったあと、父親から「お前は好きで嫁に行くんやから、いったん嫁に行ったらこの家の敷居は二度とまたげると思うな」と言われた。

一瞬むっとしたが、

「私だけが自由に嫁に行かしてもらうからしょうがない」と思った。

その時、友子さんは親兄弟には絶対に泣き言を言わないと決めた。

 

2番目の子供ができたときに

「お前はいま、つらいことはないか?」と母に聞かれた。

友子さんは、母にかまをかけられていると思い、自らの誓い通り、何も言わなかった。

つらかったら、いつでも帰って来いと他の子と同様にやさしくすると、友子さんが絶対に辛抱できないと思ったので、あえて厳しいことを言ったのだと、あの時の父の言葉の真意を語った。

そして、あの言葉を覚えている限り、友子はつらいことがあっても、泣き言をいえんだろう、あの言葉は水に流して、つらいことがあったら戻れって、お前がいうちゃれや」とある夜、父が晩酌をしながら涙ぐんで言ったと、母が友子さんに聞かせてくれた。

 

それを聞いた時、父がそんな思いを込めて、行ってくれたのならば、

「どんなことがあっても親兄弟には何も言わないのだ、一つの親孝行ではないだろうか。愚痴を言いたい時があっても、絶対にいってはいけない」と改めて思ったという。

父の本音を母が友子さんに話してくれたことを、おそらく父はしらない。

友子さんも、これまでこのことを誰にも話したことはなかった。

 

今思えば、父のあの言葉があったから辛抱できた面もあった。

もし父があの時、「つらかったらいつでも戻って来いよ」と言っていたら、

やはり甘え心も出て、辛抱できなかったかもしれないと、友子さんは思っている。

「実際には泣いて帰らないかんことはなかった。夫がいつもそばでみていてくれるから」と、友子さんのつらい立場を夫が一番わかってくれていたので、それで十分だと言う。

そして、当時は無我夢中で怖いもの知らずでやれる若さがあったから、日々を過ごせた。それに、やり遂げるしかなかった。

 

 

支え

 

9年間の介護生活。

義父母がすることではいろいろな苦労もあったとはいえ

何か言われて友子さんが鳴くようなことはなかった。

人から話を聞いていてもそうだが、言葉で言われるとやはり忘れられるものではない。

義母は口が良く回らずあまり話をすることはなかったが、義父はよく

「ねえ(友子さん)すまんのう」と言ってくれた。

 

今考えると、満足なこともできず親不孝な嫁だった。

ああもしてあげたら、こうもしてあげたら良かったと、思うことがある。

当時、夫の兄弟が時々実家に帰ってくると、友子さんが介護を満足にしてないと不満に思うこともあっただろう。

しかし、当時はそれ以上のことをする余裕はなかった。

 

そんな介護生活の中で友子さんをささえ、そこに留めてきたものは、

自分で選んできた道で他に帰るところがない、という思いだった。

そして、夫や子供の存在だった。

夫は友子さんが愚痴をこぼさなくても分かってくれていた。

いつもそばにいて、友子さんを支え続けてくれた。

 

夫にしてみれば、もっと親にちゃんとしてくれと思うこともあったかもしれない。

しかし夫は「わしゃ、自慢じゃないけんど、親のおしめを換えたことなんか一度もない」と何度となく友子さんをねぎらった。

 

 

表彰

 

模範よめとしてひょうしょうされるということを知らされたとき、

友子さんはとても嫌だった。

そんなことされたら、もうこの町を歩けないと思った。

満足な介護もしていないのに、表彰されるのは嫌だったので何度も断った。

 

しかし夫に「そう言わんと、お前が一生けん命やっとるという事を認めてくれとることやから、行ってこい」と言われたので、長女を連れて高知県庁での表彰式に出席した。

しかし、表彰されて帰ってきてもだれにも表彰状を見せず、置きっぱなしにしていた。

義父母には表彰されたこともいわなかった。

新聞に載ったとき、周囲の人が電話をかけてきてくれたが、とても恥ずかしかった。

今でも、本当に嫌だ。

 

 

24時間 果てのない介護

 

友子さんは、人から聞いた話と前置きして次の話をしてくれた。

普段はお嫁さんが介護をしているが、時々お婆さんの娘に世話を変わってもらう。

そんなときのお婆さんは、おむつも汚さなければご飯も食べ、言うことも聞き、

全く手が掛からない。

 

そのため娘は「いつもたまらん、たまらんなんて義姉さんは言っているけど、何がそんなに世話が焼けるの」と言って帰るそうだ。

お婆さんにしてみれば、たまに娘がくると緊張もあるし、嬉しさのあまりついつい食事もする。

嫁いびりではないが、ずっと介護をしている人には、心の暖みと甘えがある。

失禁もするし、食べたくないと我儘もでる。

ずっと毎日介護をしていればお互いに甘えがでるものだ。

 

まあた介護する側にしても、自分の家の介護と他人の家の介護を手伝うのは違う。

ヘルパーも自分の家の介護も大変さはおなじだが、ヘルパーは限られた時間の中だからできるのだ。

これが毎日24時間、そしていつまで続くともわからなかったら、

絶対同じようには出来ないと、友子さんは考えている。

 

自分が手をかけて介護する必要がない相手であれば、その場限りの口先だけで何でも言うことができる。

高齢者が「よその人は親切や、優しい」というのは、友子さんにはよくわかる。

自分の親に「今日はどうね?どんなん?」などとは言わないものだ。

通じ合っているから、言わなくても分かるが、他人は分からないから声をかける。

 

しかし、その一言が高齢者にしてみれば「あそこの人はいつも言葉をかけてくれて優しい」となる。

高齢者が嫌みをいっても、他人なら言い返さない。

転んだりすれば手もかすだろうが、他人は日常の生活にはかかわらなくてもすむ。

しかし、家族となると、いいことや喜ばすことだけを言って暮らせない。

そのために「うちの嫁は怒る」「えらい強い」などということになる。

 

友子さんも義父母に

「外を通る人は皆優しい、自分が手をかけなくてできるやったらみんな優しい。朝から晩まで365日一緒におる人はそんなきれい事ばあ言うてられんよ」

と言ったことがある。

友子さんもよそのお婆さんには「ああ、お婆さん元気かよ、頑張りゆうかね、ご飯食べたかよ」と声をかける。

そうすると、そのお婆ちゃんは「あそこの嫁はいつも声を掛けてくれて、優しいわ」と

友子さんは言う。

 

また、たまに介護する人なら、いいところしか見えないものだ。

よく本にも介護される側の言ったこととして

「たまに帰ってくる嫁さんとか、そういう人は凄く優しい。いつもやってる人はえらい」などと書いてある。

 

お尻を拭くときでも、たまに介護する人は要領がわからないだけに恐る恐る丁寧にするが、慣れたものはさっさと手早くする。

その手早さが介護される側にとっては叩くような感じをうけることもある。

しかし義兄の妻が帰った後では

「こないだ来た姉さんは、いよいよ手荒い人やった。やっぱりおまはんは上手やのう」

と義父が言ってくれたことがある、友子さんはわかってくれていたと今になって思う。

 

 

介護の勉強

 

今、友子さんは毎日介護の勉強にいっている。

理美容組合である程度の人を集めたら講師が来てくれるということで、

人数集めに協力して申し込んだ。いわば成り行きからだ。

しかし、講師がきることが決まってから、申し込みを取りけることはできない。

自分の身体が続くかどうかはわからないが、行けるところまで行ってみようかと通い始めた。

 

平成12年に3級は受けた。

3級の受講を終了してから、2級を受けないかと誘われ

「えーーっ」と言いながらも受けることにし、今通っている。

2級は全部で104時間の受講が必要である。

講義だけでなく、実技もあり、最後のほうでは訪問実習もある。

 

2級の終了証をもらったとしても、実際の介護現場には行くことはできないと思う。

しかし、一方でできるところまではと思い受講を続け、ボランティアなどをして自信がついたら、ヘルパーをするかもしれないと、こころが揺れている。

 

介護関係の本を読むと、介護の仕方は基本的には自分たちがしていたのと同じだ。

一緒に受講している友人と、学科の方は勉強していないから駄目だが、実技は結構以前の体験が役立つと冗談まじりに話している。

 

ただ、同じことをするにしても、今はもっと楽にできる。

寝具一つ例にとってもベッドのリースもある。

部屋を改造するための、一応の補助もある。

匙などの食器も身体が不自由な人にも使いやすく改良されている。

 

何から何まである現在を思うと、今の高齢者は幸せだろうと思う。

友子さんが義父母を介護していたころは、知識を得る方法もなく、

まさに行き当たりばったりの介護だった。

思うのと実際にするのとは違うことを、経験から十分わかっているが、

介護していた当時、今ある設備や今学んでいる知識があれば、

親に至れり尽くせりの、もっと良い介護ができただろうにと思う。

今までした介護は、なにもわからず自己流でしてきた。

友子さんはこれからの時代は、家族を介護する場合でも、介護の知識ぐらいもってもいいと思い、介護の勉強をしている。

 

ヘルパーで身を立てていこうという気分でやっているわけではない。

人の介護をするのは十分したから、

「2度とイヤ、人にしてもらうのも嫌」と友子さんは言う。

教えてくれる講師には悪いが、やはり今の自分の年齢ではもう介護の仕事はできないと感じている。

 

 

老後

 

元気で老後をすごせるのが何よりである。

今の高齢者はゲートボールやカラオケ、温泉に行ったり、

ディサービスも受けて健康で楽しむことができる。

義父母ももう少し元気で長生きしていれば、昔苦労した何分の一かでも楽をして、

天国に行くことができただろう。

義父母と同じ世代でも、今長生きしている人は本当に得だとおもう。

友子さんは自分がすぐ足や腰が痛くなることもあって、元気な高齢者をみているとうらやましく、

「あんな人生送らないかん」と思っている。

 

平成12年の4月から介護に関する制度ができて、後継ぎだけが看る当時いうこともなくなってきた。

親を思う気持ちはいつの世でも変わらないはずだが、今は金銭的余裕もあるためか、

人手がないわけではないが、少し悪くなるとすぐ病院に入れて、家で介護をしなくなった。

 

友子さん夫婦は結婚した時から義父母と一緒だったが、

自分自身は子供たちと一緒に住みたいとは思っていない。

子供たちは好きなだけ別に生活をしたらいいと思っているし、

子供たちにもそう言っている。

子供たちには、自分がしてきたことをしてほしいとは思わない。

そんな苦労はさせたくない。

当たり前のことではあるが、自分たちが炊事、洗濯できる限りは2人でやっていこうと、いつも夫にも話している。

 

夫を看るのは当たり前だから看るが、もし最後にどっちが残ったとしても、

手に負えなくなった時には、病院でもどこでも入れてほしい。

自分が親を看てきたからと言って、子供たちに最後まで家で看てもらわなければとは思っていない。

自分たちがやりやすいようにしてくれたらいい、と子供たちには言ってある。

息子は「即、病院に放り込んであげるからね」と言い、

友子さんは「それがええ、ええ。気楽でええ。今から病院を決めたおこうかね」

と冗談交じりに言っている。

 

     友子さん、結婚即義父母の介護スタート! 完

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

 

 

【模範嫁】祥子さん41年義母を介護~②

f:id:chizukoike:20180711092230p:plain

 

昔の結婚生活を伝えたくて…

2000年に「高知女性の会」のメンバーが、

「模範嫁」として高知県知事から表彰された218名のうちから

了解をいただけた12名の方のご自宅を訪問して

聞き取り調査を行った活動報告の小冊子から転載しています。

 

 

 

 

まず①から↓お読みください

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

表彰

 

 

模範嫁の表彰をうけるのは、とても嫌だった。

認めてもらえたということは、この上ないことではあるが、

「あんなこともしてあげたらいいが、今日はしかたがないか」というように、

自分自身満足な介護をしていたわけではなかったからだ。

「もっともっと用をすましてあれもしてあげたら」という思いが常にあった。

「いきなりのことですんでいた」

「表彰もらうほどのことはしてないのに」

「当たり前のことをしただけじゃに」という気持ちがあったので、

「絶対それは嫌です」と受賞を断った。

 

受賞も、まえもってしらされるわけではなく、敬老の日の授賞式の5日くらい前に

村役場の住民課の職員が知らせてきた。

それまでは全然話にもでてこなかった。

住民課の課長が車で授賞式に連れて行ってくれた。

 

出かけるとき義母に「行ってくるから」と声をかけると、

「それは当たり前のことじゃ、言ってこにゃあかん」と言って送り出してくれた。

その日は子供たちが義母の介護をしたのではないかと記憶している。

子供たちも義母の下の世話を含めてできるようになっていた。

 

祥子さんは日ごろ子供たちに「かまわんときは、おばあさんの世話をしちゃってね」と教えていた。

子供たちは「子どもでも介護をする人はおるろうね」と祥子さんに質問することがあった。「介護が大きなプラスになることもあるろう」と子供たちに言い聞かせた。

 

授賞式では、模範嫁の代表が表彰状と記念品をもらい、記念撮影をした。

表彰状は家のどこかにしまってあり、飾っていない。

「せっかくだから、表彰状を掛けたら」と言われ、一時期掛けたこともあるが、

いつも見える状態にしておくのは妙に照れくさかった。

 

義母には、一度も表彰状を見せたことがない。

義母に時計をみせると「こんなにしてもらうのは、当たり前や」と言った。

その言葉を聞いて「あまり世話も行き届かんのに、おばあさんにこんなに思うてもらえるかなと感謝した」と言う。

祥子さんはこれまで以上に義母を大切にしなければならないと思った。

 

夫にも表彰状を見せたことがないし、受賞のことを言ったこともない。

その理由を「感無量ですけど、てれくそうてね」とも、

「主人にまで言うほどのことはしていない」とも言う。

夫も祥子さんの受賞は知っていただろうが、そのことについて祥子さんに一言も言わなかった。

2人は今に至るまで模範嫁表彰について、何も話したことがない。

 

小学生だった下の子が「お母さんよかったね」と言ってくれた。

しかし受賞式当日、義母の介護をした2人の子供たちにも表彰状は見せていない。

近所の人は「まあよかったね。偉かったね」と言ってくれた。

そして今でも近所の人は

「以前はサービスもなく大変だったのに」と言って褒めてくれる。

そんな時、祥子さんは「気の付かんもんで、その日がただすんだだけのこと」と言う。

 

高知県の模範嫁表彰のほかに、A村からも献身的、模範的な介護に対して表彰された。

その授賞式は村のコミュニティーセンターの落成と合わせて行われた。

その時、参列者のひとりから「今日の華でしたね」と言われた。

その受賞についても「こんなことしてもらうもんじゃないのにと思った」と言う。

そんな気持ちもあって、授賞式で胸につけるリボンを高い位置につけることができず、できるだけ下につけた。

祥子さんは自分自身のことを「野暮といいましょうかねぇ、おかしいですよね」と言う。

 

 

介護保険やサービス

 

介護保険で、お世話になるのが皆というわけんいはいきませんよね。制度には逆らえませんろうかね」と言う。

A村にも入浴サービスが週に何回かあるが、

「あんな風呂は心配じゃ。うちのぼろ風呂がえい」と言う人も、

「老人ホームも嫌いじゃけど、仕方がない」と言う人もいるという。

 

また、宅配弁当のサービスは山の上に住んでいる高齢単身者にはとても便利だが、好き嫌いのある人にはなかなか馴染めない。

高齢者の変化に対する抵抗感とも、諦観とも言える話である。

いつまでも夫婦とも白髪で生活できるはずがなく、どちらかが先立つ、そうなると、一人特に夜の一人ぼっちは寂しいさろうと、近い将来を想像する。

1人暮らしの高齢者を週1~2回でもヘルパーか誰かが訪問し、声をかけるといったサービスがあれば嬉しいだろうと考える。

 

義母のこと

 

義母は最後まで意識はしっかりとしており、一日中ラジオを聞いていた。

「私はおばあさんに聞くがです」と言うほど、

義母からいろいろと社会の動きを教えてもらっていた。

 

義母は「祥子さん」と呼び、義姉や姪たちが来ると「よう世話してくれる」と、

恥ずかしくなるほど、祥子さんのことを褒めた。

姪たちは、義母が寝たきりの状態で退屈しているだろうからと、よく泊りがけで来て、

話し相手をしてくれた。

義母は「とっと山の空に誰がきてくれるかね」と言って、わざわざ来てくれた姪たちを歓迎し、祥子さんも共に喜んだ。

実の娘が,婚家の様々なことを義母に話したら

「そんなこと言うもんじゃない、祥子さんに恥ずかしいで」と祥子さんの働きを評価し、見習うよう諭したこともあった。

 

義母は「食べたいものは食べたらえい」「無理したらいかん」と祥子さんを気遣った。

義母自身は若い時よく働いた。

しかし、楽しむ間もなく病気になり身体の自由が徐々にきかなくなったことを、

「子供がふっとって(大きくなって)嫁でも来てもろうたら、行きたい所へも行こうかと思ったのに何一つかなわん身体になった」と祥子さんに語った。

 

祥子さんは介護中に土日を利用して「四国参り」をしている。

その間祥子さんに代わって子供たちが義母の世話をした。

義母はいつも「欲を捨てたらいかん、欲もなけりゃあいかんけど、意外な欲にはようばん」と話していた。

 

 

義妹は独身で、定年後の2年間を祥子さんたちと暮らし、義母の世話をした。

それは定年になる前からの義母と義妹の約束だった。

実際、約束どおり、付きっ切りで世話を下。

実の親子同士のほうがよいだろうと思い、祥子さんは遠慮していた。

 

義妹が本当の親子だからこそ遠慮なく言い合った時に義母が、

「かまん、かまん。おまんじゃのうても、祥子さんが居るきかまん」

と言ったこともあった。

 

義母は一人で静かに亡くなった。

世話をしていた義妹が義母のところから離れた部屋で食事をしていた。

義母が大きな息をしたなと思った時、食事をしていた義妹が

「いや、みょうに、息ひきとったにかわらんで」と言い、

部屋に行ってみると亡くなっていた。

祥子さんは何か寂しく、

「これはやっぱり嫁かなあ」と思った。

 

      【模範嫁】祥子さん41年義母を介護  完

 

 

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

【高知グルメ】麺処 やすきや でかすうどん初食べ

土佐道路にある、いつもいっぱいのうどん屋さん

麺処 やすきや さんへ朝11時過ぎに行ってきました。

昼の時間はいつもいっぱいで、昼を過ぎると

こんどは売り切れになる心配があるので、

12時まえに行きました。

 

f:id:chizukoike:20180710170434j:image

かすうどん、が高知ではここだけで食べられると

ある有名ブログでしったので、

一度は食べてみるべぇ、と思ったのでした。

 

 

極細手延べそうめん"白龍"

 

 

入り口を入るとショーケースにちらし寿司、おにぎり、稲荷ずしがあったので

稲荷ずしを取りました。

稲荷ずしとうどんのペアは最強なんです。

 

f:id:chizukoike:20180710170449j:image

 かすうどんとはなんでも牛の腸を油で揚げているものだとか、

めずらしいですね~~~

香ばしくて、油っぽいです、その油がうどんのつゆにとけて、

いいかんじです^^

百聞は一見に如かず、といいますのでご自分で味わってみてね♪

 

ちょっとまえに、丸亀製麺で「ぶっかけうどん」が半額だ!

っていうイベントをやっていて、そういうイベント大好きで、

ぶっかけうどん」半額めざして丸亀製麺へいったのですが、

 

やっぱり、自分的にはあの太いうどんがちょっと苦手で、

でも丸亀製麺の芋天が大好きなので、、、

芋天美味しく食べられたのでよかったんですけど、

 

高知県で旨いうどんを食べたいと思って、

一番最初に頭にうかんだのが、

土佐道路、ココス隣にある「やすきや」だったわけです。

かすうどん食べたことないし、一回食べてみようと思って

今回は「麺処 やすきや」でかすうどんを食べました。

かすうどんを食べられてよかった。

それに出汁がおいしい、麺も手延べでおいしい、たぶん、

稲荷ずしもおいしかった。

本当にごちそうさまでした。

 

こんどはサニーマートいの店にある「さぬきうどん」へ行こうと思う。

高知で私好みのうどんを求めて・・・

 

ここからは独り言です↓読まないでください。

 

名古屋のうどんが食べたい、

寿がきやのインスタントのうどんでいいから、

新幹線のホームのきしめんが食べたい、

高知のうどんは私に合わない、

うどんと汁がぜんぜん違う、

自分じゃ作れないし、

やっぱり名古屋へFDAフジに乗っていかないと、

私好みのうどんは食べられないということか。

 

小さい時に市場の中にあるうどん屋さんで食べたのが

うどんの原点で、いつまでもその味を引きずっているわたし。

やっぱ、名古屋にうどんを食べに行こうと思う。

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

【模範嫁】祥子さん41年義母を介護~①

 

ãç°å風æ¯ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

 

 

昔の結婚生活を伝えたくて…

2000年に「高知女性の会」のメンバーが、

「模範嫁」として高知県知事から表彰された218名のうちから

了解をいただけた12名の方のご自宅を訪問して

聞き取り調査を行った活動報告の小冊子から転載しています。

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

結婚

 

祥子さんは昭和元年A村で生まれた。

祥子さんは実の母親の顔を覚えていない。

幼い時に母親は亡くなっていた。

 

祥子さんも姉たちと同様父親を助けるため、他県のみかんづくり農家に奉公に出た。

祥子さんによると「貧しい家庭に生まれた。父をちょっとでもたすけちゃらないかん、の言葉が頭にこびりついちょりました」と言う。

「姉も順々に父を助けたりして、嫁いでいきました」というように、

祥子さんも昭和24年、24歳で農家の長男と結婚した。

 

結婚したときは義父母と夫と祥子さん、そして義妹の5人家族だった。

祥子さんの婚家は同じA村でも急斜面地で、鍬の打ち方から違った。

「土を落としたらいかん、鎌先を上向けて打たんといかん」と言われ、

ここでは山を背にして下から上に土を放り上げるように耕さねばならなかった。

 

出産

 

祥子さんは3人の女の子を出産した。

しかし、次女は先天性心臓弁膜症のため1年足らずで亡くなった。

出産は昭和30年の長女の時は産婆さんに自宅へ来てもらった。

37年の長女の時は、助産院での出産は面倒がないという話を聞き、

陣痛が始まってから一人でバスに乗って産婆さんのいるC市まで行き、

無事出産した、

その時、夫は出稼ぎ中だった。

古い浴衣をほどいておむつを作った。

新しい布では赤ちゃんの肌に固く、使い慣れた布がよいからだ。

 

 

生活

 

出産後1週間で働いた。

ゆっくり休んでいられなかったこともあるが、

祥子さん自身、出産後は体が軽くなって、かえって調子がいいと思ったからだ。

1週間目から「だいがら」という足でつく精米機で米や麦を搗いていた。

 

竈で火をおこし、水は谷から引いた。

今ならホースで水を引くが、当時は竹の樋(とい)を通てくるので、落ち葉がつまり水がうまく流れないこともあった。

洗濯機を買ったのは今から25~6年くらい前のことで、それまではたらいで洗っていた。

 

介護

 

義母は関節リューマチであった。

祥子さんが結婚したときには、足を引きずりながらも杖をついて歩くことがきでた。

義母は平成年に91歳でなくなったので、祥子さんは41年間介護したことになる。

 

結婚する前は、義母の状態についてあまり知らなかった。

義母の状態が分かったときでも、困ったという気は全くなく、

義母を「大事にしてあげないかん」という気持ちだった。

 

祥子さんがここへ来るまでにも、また、長い介護の間にも、

義母は高知の病院に何度か入院し、高知の接骨院に通院もしていたことがある。

接骨院に通院するときは、義弟の家から通院していた。

接骨院への通院や病院に入院したときには、A村からは遠いので、独身の義妹が義母について高知に行き、世話をした。

その後、義妹は高知で紡績会社に勤め始めた。

義妹は会社が休みの時には村にも帰省し、義母の世話をしてくれた。

義母の最後2年間を看たのは祥子さんとこの義妹である。

 

義母は頭はしっかりしていた。

野球が好きで、中でも高校野球が大好きだった。

野球が放映される時間になると不自由な身体で、自分でテレビのチャンネルを回した。

 

出産、育児と介護が重なった時期もあったが、

「自分の子供は、そこそこにして、どうでもえいと思うた」と言うように、

義母の介護を最優先にした。

 

在宅の入浴サービスが始まっても、義母が嫌がったのでサービスを受けず、

いつもお湯で義母の身体を拭いた。

祥子さんの記憶によると、一度だけ義母を背負って風呂に入った。

しかし五右衛門風呂では祥子さんが背負って入浴介助することは、なかなかできなかった。

義母は「おしっこにいきたいから」と祥子さんを呼び、女性用尿瓶や大便用の便器を使用した。

亡くなる7~8年前から夜だけ紙おむつを使用した。

いつ起こされるかわからないから、夜は寝間着など着たことがない。

だが起こされた時は眠かった。

「つらかったことがないというたら嘘になります」と語る。

 

「祥子さんがゆっくり食べてからでえいで」

「仕事しゆう人間こそ早う食べや」

「私は後からでかまんよ」

「なんちゃあしやせんきお腹もすかん」

と義母は祥子さんを気遣ってくれた。

しかし、夕食は必ず義母を先に食べさせた。

義母は野菜の煮物などはよく食べたが、昔から魚は苦手だった。

 

食事の介助についても、自分で食べるのなら好きなように食べられるが、

介助される者にとって、食べるタイミングや、食べ物の大きさや量が適当かどうか、

食べにくくないだろうかなど、常に考えていた。

食べさせる方の都合のよいようにしか、食べさせてなかったのではないかと、

今でも思い出すことがある。

 

義母はリューマチだったので、衣服の脱ぎ気のために、体が硬くなったところを動かす具合がわからなかった。

着物は袖が大きいので脱ぎ着が楽だが、洋服は難しい。

洋服の脇の下を全部ホックに作り直したり、前開きのワンピースを作ったりした。

いまでもその頃使っていたミシンが置いてある。

介護の終わりの頃には、既製品の浴衣を着せるようになった。

 

また、義母は自分で寝返りなどもできなかった。

義母に床ずれがないことをみんなが不思議がった。

それは祥子さんなりの工夫で、マットの座布団を何十枚も購入して、義母の腰などに当てていたのだった。

義母は「ズイズイする」といって、毎晩サロンパスをよく貼っていたように思う。

 

嫁いできたばかりの時は、実家が恋しいこともあった。

義妹が休みでA村に帰ってくると、子供を連れて実家に泊まることもあった。

しかし、年月を重ねるにつれて、実家に行っても義母のことが気がかりで、帰った方がむしろ落ち着くようになった。

 

義母の施設入所を勧める人もいたが、体が不自由な高齢者が、

老人介護施設などへ入所して一から十まで他人に世話されるのも嫌だろうと、

家族は誰も入所のことを考えなかった。

 

41年間の介護が終わって、他人は「肩の荷がおりたね」と言ったが

なかなかそんな気持ちにはなれなかった。

 

「おばあさんの後を背負うていかないかんから(義母が亡くなって自分がこの家を守っていくということの意)、一生懸命頑張らなあいかんと思ったら、自分の身体がガックときたので年かなと情けなくなりました」と言う。

 

祥子さん自身は今70歳を過ぎている。

将来、介護される側になったら、できれば自宅で過ごしたいと思っている。

しかし「子供には子供の生活があるし、仕事はあるし、やむを得ん場合もあるかな」

と言う。

この村の若い者はそれぞれ仕事に出ており、昔のように米やみかんづくり農業を生業にしているのは、高齢者だけになっている。

 

支え

 

長い介護生活を精神的に支えてくれたのは、3歳違いの実の姉である。

姉は今、高知市にすんでいるが、祥子さんが介護をしていた時期にはA村にいたこともある。同じ村であったので、姉の家に行くことができた。

姉の家に行っても愚痴をこぼすわけではなかった。

しかし、姉は「何ちゃー一言も家庭のことも言わん、おばあさんの世話も大変じゃにお婆さんのことも言わんねえ」

「神様だけはお見通しだから、頑張らなあいかんぞね」と言って、

何も言わない祥子さんの状況や心中をよく理解し、祥子さんを励ました。

いまでも「無理せられんぜ」と、度々電話をかけてきてくれる。

姉は短歌が好きで、祥子さんが模範嫁の表彰を受けた時も、短歌を作った。

 

         【模範嫁】祥子さん41年義母を介護~②へつづく

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

 

【高知グルメ】イオン高知の 肉ダイニング 神でWハンバーグランチ!

イオン高知の1階に新しくお店がオープンしたとの情報を得て、

さっそく、というか、開店3日間のイベントが終わった次の日の

ランチに行ってきました。

新店ができたと聞くと、一度は行ってみないと気が済まない、

という性分を持ち合わせています。

 

f:id:chizukoike:20180627150935j:image

 

ここのところ、ハンバーグにはまっていて、美味しいハンバーグを求めています。

それで、ビフテキではなくてWハンバーグを注文しました。

付け合わせにキノコとかはいいですね、

スパゲッティは珍しいくらい細かった。

カイワレをちらしてあるのは、単にかざりですね。

Wですからハンバーグにはボリュームがありました。

 

味はよかったですよ、ふつうに。

ソースが2種類とペッパーとかマスタードがありましたが、

タバスコはなかったです、残念。

肉系にはタバスコと醤油がマイブームなんですよ。

 

f:id:chizukoike:20180627150949j:image

 

スープとライスはセルフでお替り自由とのことでした。

スープジャーがあって、その横にワカメとネギが置いてありましたので、

コンソメスープでしたが、味噌汁でもいいのではないかと思いました。

 

テーブル席とカウンター席のこじんまりとしたお店でした。

イオンは駐車場にこまらないし、行きやすいからいいですね。

また、機会があったらお邪魔したいと思います。

ちなみに、値段は980円だったと思います。

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

 

【高知グルメ】JR朝倉駅前の「 大吉」の焼き鳥

焼き鳥とビールというのは、働く大人のオアシスだ!

砂肝を塩焼きで注文して一味をたっぷりかけて、

ビールをクビッっとやれば、チマチマした悩みなど吹っ飛ぶおだ!

だから、梅雨空みたいにすっきりしない日は

やきとりの「大吉」へいくのだ!!!

 

f:id:chizukoike:20180530211818j:image

 

こちらのお店は20数年来の行きつけで、

やきとりがすごく美味しいです。

炭火で丁寧に焼いてくれます

火力が強いと水を掛けて調節するのですね、

カウンターに座ると、焼ける焼き鳥見ながらビールが飲めます

 

f:id:chizukoike:20180530211832j:image

すぐそばに高知大学があるので、毎年新入生からバイトがくるようです。

学生のバイトと大将5人ぐらい態勢で切り盛りしています。

いつもお客さんでいっぱいの繁盛店です。 

 

あとはハサミとか手羽とか色々食べたけど

写真撮るのはもう忘れてますね

f:id:chizukoike:20180530211849j:image

最後に大吉サラダを注文して、

お口をさっぱりさせます

 

 そして電車の時刻に合わせて帰ります。

美味しかったです、ごちそうさまでした。

f:id:chizukoike:20180530211913j:image

 

 

chizukoike.hatenablog.com

 

chizukoike.hatenablog.com